ロンドン日記

2つのロンドン

昨日(2022年9月17日)一昨日(16日)とロンドン都心部に行った。しばらく会っていなかった友人と待ち合わせて。エリザベス2世崩御後、英国メディアでは関連行事の報道一色。ロンドン外あるいは英国外でどのように映っているのか知らないが、もし全ロンドンが悲嘆に暮れて静寂に包まれているという印象があれば、実情と違う。

無論多くの人がエリザベス2世の死去を哀悼しているが、全ての人がということではない。また追悼の物理的空間は基本的にバッキンガム宮殿・ウェストミンスター・ホワイトホール周辺に限られている。付け加えればウェストミンスター宮殿内のウェストミンスター・ホールで公開安置されている棺に弔問する人の行列がある。しかしその他のロンドンでは普段と変わりはない。

2022年9月16日

14系統のバスに乗ってグリーン・パーク地下鉄駅の停留所で降りた。

【写真】グリーン・パーク。2022年9月16日撮影。

 

グリーン・パークはバッキンガム宮殿に近く、追悼の献花に訪れる人が多かった。公園内に献花用に指定された区画もあったが、それ以外にも木の周りに花を置く人が絶えず、花の輪がどんどんと広がっていた。多くの場合、花とともにメッセージ・カードが添えられていた。他には旗や写真や人形なども。

中にはグリーン・パークを訪れた後に、バッキンガム宮殿を経由して、ウェストミンスター・ホールに安置されている棺を弔問する列に並んだ人もいただろうか。

【写真】ザ・マルとバッキンガム宮殿。2022年9月16日撮影。

 

私はこれまで何回もザ・マルにて様々な行事を観てきたが、今回の一連の追悼行事の見物には行っていないし、19日の国葬の日に行くつもりもない。私はエリザベス2世と個人的紐帯があったわけではなく、誰か親しい人を失ったという哀悼の感情がない。慶事や国家行事ならば、一人の見物客として参列して写真を撮影したりすることに躊躇うことはないが、弔事は違う。何か場違いな気がしてならないし、私がザ・マルに行って陣取れば本当に悲しみに暮れる人から場所を奪ってしまうのではないかと考えてしまう。無論これはあくまでも私の個人の感覚であり、他人に押し付ける意見ではない。この日は特に何かが行われるということもなかったが、それなりの人出だった。

【写真】メリルボーン駅。2022年9月16日撮影。

 

弔問の行列が一時長くなりすぎて、列に入ることが制限されていたが、午後7時過ぎのメリルボーン駅の電光掲示板には、行列に再び並ぶことができるようになったが、待ち時間は24時間以上 (Expected queuing time is over 24 hours) という表記が。そして夜の最低気温は10℃以下になるとの予報。それでも並ぼうとする人がいたとのは驚き。

2022年9月17日

19系統のバスでロンドンのチェルシー地区からハイベリー&イズリントン駅まで行った。ロンドン南西から都心部を通って北東に向かった。以下に掲載している写真は2階建てバスの上階最前列に座って撮影した。

【写真】ナイツブリッジ。2022年9月17日撮影。

 

高級ブランドの店やデパートがあるナイツブリッジ。かなりの人出。多くが観光客や紙袋を手にしている買い物客の模様。ここ数年の新型コロナウイルス感染症のため比較が難しいが、2019年には頻繁に見た人混みの光景だった。

【写真】グリーン・パーク入口。2022年9月17日撮影。

 

前日はこの地下鉄グリーン・パーク駅の停留所で降りて、グリーン・パークの様子を見たが、この日はそのままバスに乗りつづけた。グリーン・パークの入口で、真っ直ぐ進むとバッキンガム宮殿前のザ・マルに至る。この人波はグリーン・パークで献花をしたりバッキンガム宮殿を見たいのだろう。

【写真】ピカデリー。2022年9月17日撮影。

 

グリーン・パークからピカデリー・サーカスに向かう途中。目抜き通りなので、人が多いこともよくあるが、それでも大勢のような。観光客買い物客に弔問に訪れた人が合わさってのことだろうか。弔問が主な目的でもその前後にロンドンを楽しむ人もいただろうか。

【写真】シャフツベリー・アベニュー。2022年9月17日撮影。

 

ピカデリー・サーカスを過ぎ、シャフツベリー・アベニューに。ミュージカル劇場が数座あり、ここまで来ると、至って普通の光景に映った。

数多くの人がウェストミンスター・ホールに何時間も並んで弔問に訪れていて、グリーン・パークで追悼の献花をしているし、エリザベス2世の死去を心から悼んでいる。先日エリザベス2世の棺が、バッキンガム宮殿から、ザ・マルを通り、ホース・ガーズのアーチを潜り、ホワイトホールを経て、ウェストミンスター・ホールまで運ばれた。これらに国葬が執り行われるウェストミンスター寺院が、一連の行事あるいは儀式の場所、つまりはロンドンの物理的「哀悼の空間」と呼べるだろうか。現在メディアで取り上げられているのは、専らこの哀悼の空間とその空間にいる人々。でも他のロンドンの地域では普段の生活と全く変わりない日々が続いている。追悼のロンドン、日常のロンドン、2つのロンドンがあり、2日続けてバスに乗ったところ、境界線を跨いだような気がした。

明日19日の国葬はどうなるだろうか。テレビで観ることになる。休日になって多くの店が休業するので、かなり特異な日になることは間違いない。