ドイツ旅行記:ベルリン・グライフスヴァルド・ミュンヘン・ドレスデン・マイセン

2007年3月25日 | 最終更新:2009年4月9日

ニューヨークで勉強中の彼女が1週間ドイツに来て、まだ寒さが残る2007年3月10日から18日までドイツでは大都市にあたるベルリン・ミュンヘン・ドレスデンを中心に旅行したときの各地の感想を纏めてみた。各地で訪れた名所や博物館・美術館、また食べたもの飲んだものの感想やホテル・レストランなどについて記してある。

3月10日:ベルリン

朝早く起き、住んでいるグライフスヴァルドからベルリン中央駅まで2時間半特急に乗り、着いたら階段を駆け上り駅を出て、テーゲル空港までのバスTXLに乗り込み、20分もしないで飛行場に着き、電光掲示板でアムステルダムからの到着便を確認した。ニューヨーク・ベルリン間には直行便もあるが、アムステルダムかパリ経由が一番安価なのだ。小さい飛行場なので、彼女との待ち合い場所を決めなかったのが裏目に出てしまい、少し時間を浪費した後、なんとか無事に会うことができた。いつになったら完成するのか、とよく言われるベルリン・ブランデンブルク国際空港が開港するまでは、この空港がベルリンの玄関口となり続けるだろう。今晩はベルリン宿泊で、ベルリン西部のホテル Alsterhof を予約しておいた。X9というバスに乗り、最後の停留所である動物園駅まで乗った。昔、といっても数年前だが、TXLというバスはこのX9の路線を走っていた。ベルリン東駅・中央駅が完成する前まではベルリンの中央駅的役割を果たしていた動物園駅も、高速列車が停まらなくなり、少し廃れた感じがする。グライフスヴァルドからベルリンに日帰りで行くときもこちらの方には足を向ける事もすくなくなった。肝心の彼女はやはり時差と飛行機のせいでかなり疲労気味。ホテルはなかなか感じよく、ビジネス客が中心のように見受けられた。チェックインには早過ぎたので、荷物のスーツケースをホテルに置き、目抜き通りの Kurfürstendamm を歩き回った。斬新なデザインのコーヒーカップとクロワッサン用の皿のセットが彼女の目を引いた。Villeroy & Boch のショーウィンドー。以前ルクセンブルクに住んでいたこともあり、懐かしい思いで店内に入った。あとはぶらりぶらりとホテルへ戻った。このホテルはシャワーのみでなく浴槽まであり快適だったが、シャンプーと石けんが同じローションであることに彼女は不満気味だった。まあ私のようになんでもいいという呑気な考えではない方は、シャンプーを持参するまたは現地で購入することをおすすめする。彼女は昼寝で私は読書という形で数時間過ごした後、夕飯はドイツ料理を、ということで、アレクサンダー広場近くのニコライ地区にあり、自前の地ビールを醸造しているレストランにした。量はおおいが質はいまいち、でもビールはおいしい、というような場所だった。

3月11日:ベルリン・グライフスヴァルド・夜行列車

ちょっと無理のある日程を組んだ。私が今住んでいるグライフスヴァルドを観てみたいという彼女の希望もあり、グライフスヴァルドで数時間過ごせるようにしたのだが、そのため、今日は移動に多くの時間を割くことになる。彼女はアメリカ在住ということでユーレイルパスを買い、私はドイツ鉄道の割引カードとも言える BahnCard を使い、できるだけ旅費を削る工夫する。ベルリン中央駅11時48分発の列車に乗り、森と湖が広がるブランデンブルクのウッケルマルク地方とフォアポンメルンを通り抜け、午後2時過ぎにグライフスヴァルドに到着。4時間ほどある。日曜日ということもあり、いくら開店・閉店時間および休業日を結構細かく決めていた連邦閉店法が失効したとはいえ、飲食業の店を除いてはすべてが閉まっていることにはかわりがなく、礼拝があるはずの教会も至って静か。町にある3教会はドイツやポーランドのバルト海沿いによく見受けられる Backsteingotik と呼ばれるゴチック様式煉瓦造りで堂々としている。グライフスヴァルドの町の中心部を歩き、常々入ってみたいが、一人だと少し気が引ける喫茶店 Caféhaus Marimar で、ドイツらしくコーヒーを飲みケーキを食べた。意外、といえば失礼かもしれないが、おいしかった。店内は閑散としていた。天気もよく、観光には適していた。「典型的」なドイツの町なんてないだろうが、地域では大学や裁判所があり文化的経済的に比較的重要な小都市の一つとして、グライフスヴァルドは一例になるだろうか、と考えたりもした。春から秋にかけては結構観光客が来るが、ほとんどがドイツからの国内旅行。荷物を再びまとめて、次の目的地へ出発する。時間を有効に使おうと、今晩はドイツ最北東ともいえるシュトラルズンドからドイツ南部ミュンヘンまで夜行列車で移動することになる。グライフスヴァルドからシュトラルズンドまで約20分。しっかりとした食事をする時間がなく、あまり健康的ではないが、駅構内で買ったケバプを夕飯とした。電車は少々奮発して、2人だけで洗面付きのコンパートメント1つになるよう手配をした。

3月12日:ミュンヘン・夜行列車

朝起きてみると車窓は霜が降り、晴天の空に教会のタマネギ状の丸屋根が聳えるバイエルン州の田舎になっていた。ミュンヘンに行くのはのは何年ぶりだろうか、と思った。ドイツも大きい国なので、ベルリンに住んでいたとしても、そうそう行くこともなかった。景色も変われば、建造物、人や方言、そして宗派も変わる。ドイツ西南部出身の友人から私のドイツ語はバイエルン訛りなどと言われた事があるが、自分自身そうとも思わない。ただロシア語やポーランド語を習っていたためか、Rの発音が巻き舌になるからかもしれない。服装や食べ物そしてビールだろうが、ドイツ人の典型としてよくバイエルン人像が想起される。もっともバイエルン人は他のドイツ人とは違うと自負しているし、また他州のドイツ人もバイエルン人と距離を置こうとする人が多い。朝7時現在で十数分の遅れがあったが、ミュンヘンには定刻通り到着した。今晩また夜行でドレスデンに行くので、荷物は駅のコインロッカーに置いた。ミュンヘンにはもっと時間を割きたかったが、ベルリン重視の旅程なので、仕方が無い。駅から出て Karlstor を目指し、ゆっくりと歩いた。暖冬とはいえ、朝の空気はやはり冷たい。Neuhauser Str. に入り、ガイドブックを開いて、何を見物するか決めた。まだ10時前ということもあり、開館していない場所もあり、また月曜日は多数の博物館や美術館の休館日。教会の内部を観ることにして、まずは St. Michaelskirche を訪ねた。現在も礼拝等に使われている教会内部の写真は撮らないようにしている。できるだけ静かにゆっくりと回る。ロココ様式のゴテゴテした建築物は嫌いだが、この教会の内装は派手ではなく、建物とぴったり合っている。地下室には歴代のバイエルン公・選帝候・王の棺が安置されている。一際目立つのが、ノイシュヴァンシュタイン城を建てたかの「狂王」ルードヴィッヒ2世の棺。告解聴聞席も多くあり、独英はもちろん他の言語ができるイエズス会の聖職者もおり、国籍と国境を超えた信仰の根強さを語っている。続いて歩いて数分の所にある Frauenkirche を見学した。朝食は寝台券についてきたのだが、それでも少し小腹がすいたので、何かを食べようということになった。市庁舎の近くにある Viktualienmarkt に向かった。数軒並ぶ肉屋の中に一軒に入り、名物の白ソーセージの皮をまず剥いて、甘みのあるマスタードとプレッツェッルとともに食べた。「食糧市場」の名にふさわしく、新鮮な肉・乳製品・野菜や果物が手に入る。天気も良く、何となくベルリンに比べると陽気で活気があるよう感じられる。

Residenz を見学することにした。700年以上もバイエルンに君臨した名門中の名門ヴィッテルスバッハ家の居城というか宮殿。ルネサンス・バロック・ロココ・新古典主義と様々な建築様式が混在する。午前と午後で公開されている部屋が違うらしい。昼前に入ったので、3時間弱かけて、午前の部分、午後の部分両方を見学した模様で建物内を2周半した。来るだけの価値がある。幾多の寝室などがあるが、印象に残ったのが アルプス以北では最大規模のルネサンス期の広間となる Antiquarium と宮廷付属の礼拝堂の Hofkapelle と Reiche Kapelle。あと宝物館 Schatzkammer では素晴らしい装飾品の数々が見学できる。美術館が閉まっていても、このようにいろいろと見物できるのはやはり大都市でないといけない。それにしても空腹。なにせ2時間ぐらいしたら昼にしよう、ということで入館したのだから、1時間も長くいたことになる。Residenz の近くにあり、どのガイドブックにも載っているが食事もビールも美味い Zum Franziskaner でソーセージとビールとする。数年前ミュンヘンに来たときはまだドイツ・マルクのある時代だった。そのときは友人とともに修道会ビール巡りをしたものだ(Zum Franziskaner; Augustiner; Paulaner)。デザートはどこか喫茶店でケーキかアップフェル・シュトゥルーデルを食べようということで、新市庁舎がある Marienplatz に面している喫茶店に入ったが、シュトゥルーデルはあいにく売り切れということで、リンゴのタルトと饅頭を数倍膨らましたような形と食感でバニラソースにどっぷり浸かっているジャム入り「酵母団子」こと Germknödel を食べた。満腹になる。公園で一休みしたり、コーヒーで有名な Dallmayr の店に入ったりとして時間を潰した。

ドイツといえばなんといってもビール、ということで、夜はミュンヘン三越のそばの Hofbräu で一杯飲む事にした。観光名所なので観光客が多いが、それでも雰囲気を楽しむことができる。ビールは通常1リットルのジョッキ。グラスも重いので、最初は筋肉を使う。一杯6ユーロ60セントということは約13マルクだ。そんなにしたかどうかよく覚えていない。少々調子に乗り、1リットルにすべきだったのが、2リットル目を飲んでしまった。ほろ酔い機嫌で Hofbräu を出て、中央駅を目指す。まあひんやりとした風があるから酔いも少しは醒めるだろう、と思いながら、暗くなったミュンヘンの町並みを歩いてゆく。どこかのオーケストラの数人だろうか路上で演奏していた。上手だ。時間があまりなく聴くこともできなかったのが残念だ。なんとか駅に辿り着き、荷物をコインロッカーから引っ張りだして、プラハ行きの電車を探す。もうプラットフォームに入っていて、乗車できたので、乗り込んで、ともかく眠ろうとした。

3月13日:マイセン

朝5時半。頭痛。二日酔い。ドレスデン(「ドレーズデン」のほうがより発音に近い)郊外のところで起き、車窓を眺める。日の出の直前で、空がほのかに赤くなりつつある頃だ。シルエットのようにドレスデンのドーム状の屋根がエルベ河の反対側に浮かび上がる。幻想的な光景が広がる。もっとも二日酔いが齎した光景かもしれないが。未だ改築中の中央駅に到着し、なんとか電車から降り荷物を駅の構内まで運ぶ。ザクセン人はまるで歌っているかのように抑揚のある訛りのドイツ語を話す。ドレスデンは2泊で、一日は近郊電車で40分ほどのところにある、磁器の町マイセンに行く事を予定していた。荷物をコインロッカーに置き、マイセン行きの電車の発車時刻を確認して、プラットフォームへ向かう。6時半の電車は予想以上に混んでいる。ドレスデン中央駅から十数分経つと両側にぶどう畑が広がる。ドイツワインというと西部のモーゼルやラインが有名だが、東部のザクセンも良質のワインの産地だ。

マイセン駅から出て、旧市街の方向へ行く。マイセンのまだ町は静か。ゆっくりとエルベ河に架かる橋を渡る。一番最初に目に入るのが丘の上に荘厳と構える大聖堂。午前8時を過ぎても、ひっそりとした町。石畳の道を歩いて大聖堂のところまできて、一休みした。なにもすることもなく、朝食もしっかり摂っていなかったので、また旧市街の中心まで戻ることにした。広場の隅にあるホテル兼喫茶店兼レストランが開いていた。コーヒーを飲まないと目が覚めない柄なので、助かった。彼女は元気よく、ミュンヘンでは食べ損ねたアップフェル・シュトゥルーデルを注文した。よくできていて、おいしかった。10時を告げる教会の鐘が鳴り、大聖堂へ再び行く事にした。マイセン磁器や手芸品や骨董品を販売する店が道の両側に並ぶ。マイセン司教区は大きく、教会制度の中でも重要であり、政治的にも役割を果たしていた。大聖堂の隣にはアルブレヒト城がある。大聖堂・アルブレヒト城共通入場券は学割で3ユーロ50セントだ。

マイセン磁器の工場は旧市街から少し離れたところにあり、20分ぐらい歩いた所にある。冬なのでコートを着ているが、陽が出ていて、少々汗ばむぐらい。工場は近代的な建物。大きな店があり、非常に高価で大きな磁器人形から手頃な品物まで多く取り揃えられている。ここで買えば、すくなくとも贋物をつかまされることはない。博物館があり、18世紀初頭から現在に至までの多くのマイセン磁器が展示されている。東洋の真似から始まり、融合そして、脱却でヨーロッパ風の絵柄ができるまでの過程がよくわかる。また見せ物用、といったら失礼だが、見学者用に作業過程の幾つかを見せる部屋があり、絵付けなどを身近に見ることができる。

マイセン名物というと、磁器の他にフンメル(Fummel 「フメル」と言った方が通じるかもしれない)がある。中が空洞の硬めのパンとでも表現すればいいのだろうか、壊れやすいものだ。特に栄養価値もないのに、フンメルが作られた理由はマイセンの良質なワインにあるらしい。諸説あるが、独語版ウィキペディアによると、なぜかマイセンからの駅馬車の手紙や荷物に損傷があることが多く、マイセン産ワインの飲み過ぎで酔っぱらってしまい落馬したりしたのではないのでは、という考えに業を煮やしたザクセン選帝候は至り、御者が素面であることを証明するための壊れやすいものを作るようにパン職人に命じたのが始まりだという。つまり飲んでいれば酔い、携帯していたフンメルを壊してしまうだろうということだ。かなり遅れたが、昼食を食べる事になった。広場にある Ratskeller で気さくなウェイターおすすめのザクセンの郷土料理 Sauerbraten をマイセンの白ワインとともに味わう。あまり白ワインは好きではないが、この地方のワインは妙な甘い後味が全くなく、気に入り、レストランの向かいにあるワイン専門店で、試飲してザクセンのみで栽培されている Goldriesling 種のものを2本購入した。

連日の夜行列車による移動で疲労が溜っていた事もあり、結局ドレスデンに戻り、ホテルにチェックインして夜も早々寝て、明日に備えることになった。ホテルは駅からあるいて5分もしないところにある比較的安くまた質素な Ibis だ。東独時代の建物で外見ほぼ同じの3棟をそれぞれホテルにしたようだ。現在この付近は再開発中で建物の取り壊しなどが行われているが、立地条件は駅にも旧市街にも近いので便利だ。

3月14日:ドレスデン

今日は終日ドレスデン観光に充てる。19世紀「ドイツ」はプロイセン主導によって「統一」されたが、16から18世紀にかけては、ブランデンブルク=プロイセンよりもザクセンの方が政治的にも文化的にも重要だった。ザクセン選帝候フリードリッヒ=アウグスト1世は1697年、没落しつつあるとしても広大な領土を有していたポーランド=リトアニアの王ともなり、中東欧でも強国の一つになり得たかもしれなかった。ポーランドではアウグストゥス2世となり、「強王」とも知られている。建物に刻まれている紋章もザクセン・ポーランド王国の王冠を冠った鷲・リトアニア大公国の聖ゲオルギウスを組み合わせたものが多い。ドレスデンとベルリンを比べてみると、どうしてもドレスデンの方が優雅で文化的に思える。第2次世界大戦時の空爆の被害が甚大であっても、また共産政権時代の薄暗いアパート群が建っても、多くの歴史的建造物が残り、または再建されつつある。現在ドレスデンは建設ラッシュの。戦前の風景に戻すのが目的のようで、また数年後観光に来たら、まるで19世紀に戻ったような錯覚に陥るのではないだろうか。ホテルを出て、博物館等の開館時間である10前に朝食を食べ、その後 Frauenkirche に行く。2003年にはまだ再建中だったので、いささか感慨深い。海外観光客はおそらくプラハに行ってしまうのだろうがもったいないことだ。

Frauenkirche の後は Zwinger に行って陶磁器博物館と美術館に行くという計画。Zwinger の隣に観光案内所があったので入ってみたら、各種パンフレットの他にオペラやコンサートの券を手配してくれるカウンターがあった。オーケストラと言ったら、ライプツィッヒのゲヴァンドハウスの方が有名だが、ドレスデンと言ったら Semperoper と勝手に解釈して、今晩の上演項目を確認してみる。今の時期、Richard Strauss のオペラが多く上演されていて、今晩は Friedenstag というらしい。まだ券があるかと尋ねたら、充分にある、そして学生なら当日券で10ユーロだ、という。礼を言って外へ出る。ゴーゴトンゴトンと威勢のいい音を出しながら路面電車が通り過ぎてゆく。Zwinger は外壁と内壁の間のことを指すらしい。築城に関しては疎いので何とも言えないが、軍事技術の発達により、形骸化した施設の跡地に宮殿を建てたようだ。美術館や博物館の類が多く施設内にある。まず最初に陶磁器館に行く。景徳鎮や伊万里焼がたくさん並び豪華。これだけ東洋の陶磁器を蒐集するのには莫大な金銭が必要だっただろう。Gemäldegalerie Alte Meister を昼食前に見学することにした。ルーカス・クラーナッハ父子の特別絵画展示会があり、大変興味深く鑑賞した。数日後の話となるが、ラジオのニュースによると旧ザクセン王家だったヴェッティン家が絵画の所有権を主張しているらしい。ピーテル=パウル・ルーベンス、ヨハネス・フェルメールの名画の他にラファエロの絵もある。2時間ほどかけてが、時間がいくらあっても足りない。しかし正午もとうに過ぎてしまい、空腹になりまた Residenzschloß にも行きたかったので、心残りだが絵画館を後にした。

昼食は Zwinger の真向かいにあるテーマレストランと呼んでもいいようなレストラン Sophienkeller で食べた。このあと Residenzschloß で展示品をみることとする。Zwinger と Residenzschloß の各博物館は共通の一日入場券を買うことで見学することができる。宝物庫ともいえる場所を観た。

オペラ座に行くにはまだ時間があるうえ、空腹でもないので、橋を渡り、黄金の騎士像をみて、対岸からのドレスデンの眺めを楽しんだ後、いったんホテルに戻った。オペラ座には日中の身軽な格好から少し場所に合った服装とする、といっても、背広を着てゆくわけでもない。Friedenstag というオペラは30年戦争の最終日を舞台とした物語だ。主役のオペラ歌手が病気ということで、急遽ローマから代役を呼んだということで、代役が舞台の隅から歌い、劇団の一員が役を演じるという、奇妙な経験だった。

3月15日:ベルリン

9時4分発の電車でベルリンへ向かう。国際列車でプラハ始発のため、車両はチェコ鉄道のもの。食堂車も連結されており、良心的な価格で提供されているコーヒーとサンドウィッチを頼んだ。他の乗客はプラハから乗っているようで、中には派手に鼾をかいている輩もいる。ドレスデン・ベルリン間は約2時間で午前11時過ぎに到着する。ベルリン中央駅で現在ロンドンに住んでいる友人JとJの彼氏のNと一緒に観光をすることになっている。Jは9時頃到着する便で、またNは仕事の関係で午後11時前に到着の飛行機に乗ってくる。彼女とJと相談して、今日の観光候補としてあげられたポツダムは、移動のことなどを考えると時間をあまり有効に使わないので、あきらめることにした。ここ数日間のベルリンの宿泊先は、いつも泊ってみたいと思っていた Park Inn Alexanderplatz という高層ホテル。部屋は欧風に数えて22階になるという。あとで戻ってきたとき、見晴らしがいいと感心したものだ。追記すれば、他のホテルと違いシャンプーと石けんが別々だった。

天気も良好なので、散歩をしつつ、町を歩くということになった。アレクサンダー広場駅から動物園駅まで電車で移動して、Kaiser-Wilhelms-Gedächtniskirche を見学する。1943年11月の空爆により半壊したのを、戦後元の形に修復するのではなく、戦争の悲惨さを体現するためそのままに残し、そのかわりに現代建築の新教会がそばに建てられた。新教会の外見はコンクリートだが、ひとたび中に入ると青の光で溢れるようになっている。外の雑音も遮り、時間がゆっくり流れ、本当に神聖な空気を漂わせる。ここから Potsdamer Platz まで散歩をすることになった。中国風の門がある動物園入口のそばを通り、Tierpark に入る。おそらくあっちの方向だろう、という呑気な考えでぶらぶら歩いていると、Siegessäule に辿り着き、塔は必ず登るという彼女なので、285段の階段を登り、高さ約50メートルの高さからのベルリンの眺めを楽しんだ。スモッグかどうか分からないか霞がかかっている。風も結構強いうえ、どちらかというと高所恐怖症気味なので、少々恐い。Potsdamer Platz の方角を確認して降りて、歩いてゆく。ベルリン・フィルの建物を過ぎるとソニー・センターが目に入る。近くのショッピングセンターで腹ごしらえをして、またホテルの方へ歩いて行く。今日はかなりの距離をあるいた事になる。途中でジャンダルメン広場に寄り、老舗で店内にチョコレートでできた国会議事堂やブランデンブルク門がある Fassbender & Rausch の2階にある喫茶店でコーヒーとケーキとする。唐辛子入りのホットココアなどがあり、ケーキもチョコレート主体で、なかなかおいしい。

当日券という存在を知った彼女とうまみを再発見した私は、Staatsoper で今晩のボリス・ゴドゥノフの券がありそうかどうか尋ねてみたら、あるある、100パーセント問題なし、といわれたので、ホテルに少し戻ったあと、いそいそとでかけた。一人あたり学生で12ユーロだ。つくづくドイツという国はいいところだと思う。一度は Daniel Barenboim 指揮のコンサートに行きたいという願望があったので、私も興奮気味だった。また背景となるロシアにおける動乱時代(Смутное время)については学部生時代勉強もしたので、興味深いだろうと期待していた。2年間習ったロシア語は残念ながら全然役に立たず、ドイツ語の訳に頼らずをえなかった。舞台は近未来になっており、面白かった。ある特定の時代の劇やオペラを現代や未来に引っ張りだしたり、ある主義をもって解釈するのは、作者や作曲家のいた時代背景を無視したり、無知であったりする事が多く、一般的にあまり好きになれないが、今回はよくできていたと思う。歌声もよく、オーケストラも一流と、幸福感に浸った。カーテンコールが何回があったが、オーケストラピットを見てみると、団員がいない、なぜだろう、と思っていたところに、幕が再びあげられ、バロンボイムを先頭にオーケストラ全員が舞台の上に立っていた。さすがはバロンボイム、と拍手の手に力がこもる。

オペラ座の前からテーゲル空港行きのバスが出ているので、Nを迎えに行く。町中に戻ったら11時半を過ぎていた。夕飯はまだだったので、どこかでいい食事をしようとしたものの、ラストオーダーの時間を過ぎた所が多く、不本意ながらケバプを食べる羽目になってしまった。

3月16日:ベルリン

博物館巡りの日、と形容していいような日程だ。まず朝に国会議事堂を見学して、次に博物館島へ行き、ペルガモン博物館で数時間過ごしたあと、昼食、そしてユダヤ博物館見学ということ。そして夜7時半開演のオペラとかなり忙しい一日になる。ベルリンには幾多もの博物館・美術館があるので、ほんの数館した行けないのは非常に残念だが、ただ「行った」という事ではなくしっかりと時間をかけて展示物を鑑賞するのが好きなのでしょうがない。国会議事堂見学はできるだけ早めに行きたかった。いつも長蛇の列があるので、下手をすると長時間待たなければならないと危惧したからだ。中央駅から連邦首相府の横を通っていくと、まだ列は短かったが、大型バスが数台停まったので団体の前になんとか並ばなければと急いだ。列の前には数十人いて、何分間か待たされたが、すんなりと入ることができた。金属探知機を通り、エレベーターで屋上に着く。風が強く寒いが晴天で心地よい。

国会議事堂を出て、ブランデンブルク門の下を通り、ウンター・デン・リンデンに出て、博物館島の方向へ仏・英・米・露の各国大使館を見ながら歩く。博物館島の中でも一番有名なのがペルガモン博物館だろう。ベルリンというのはドイツが19世紀・20世紀初頭には自然科学はもちろん考古学や史学など学問全般で世界最先端だったことをよく物語っている。今のアメリカよりもその傾向は著しかったのではないだろうか。以前ベルリンに住んでいたときはよく勉強のために来た、現在改築中の図書館、戦没者慰霊のための Neue Wache、 歴史博物館を過ぎると、大聖堂が見え、博物館島に至る。

博物館島を後にして、ユダヤ博物館へ行く前に昼食にということで、ジャンダルメン広場にあるヒルトンホテル付属のレストラン Mark Brandenburg に入る。ア・ラ・カルトだと高いが3コースで13ユーロ50セントというビジネス・ランチ・メニューがあり、それにした。私は一人だけ Märkischer Landmann という黒ビールを飲み、他はみんな白ワインだ。食事はメインが鮭か豚という二者択一で両方ともまあまあといった具合だ。かなり落ち着いているので雰囲気はいい。ユダヤ博物館はドイツにおけるユダヤ人・教について中世から現在に至るまでの歴史について語られている。1933年から45年までの間だけではなく、ドイツとユダヤ文化の関わりについて丁寧に説明している。

今晩は事前に手配しておいたヴェルディの Falstaff を鑑賞する。一回は是非オペラ座で、ということだったの数週間前に券を押さえていたが、今日も当日券がまだ残っていたらしい。ファルスタッフ役のオペラ歌手は声もよく、演技も上手いとあって堪能できた。太鼓腹を強調するために服の下になにか詰めていたようで、それでも声に影響がないのだからたいしたものだ、と一人変な事に感心していた。舞台設定がよく出来ていたと他の3人とともに感想を語り合いつつ、ジャンダルメン広場で遅い夕飯とする。彼女はベルリン名物の一つでハンバーグみないなものである Boulette を注文した。

3月17日:ベルリン

これまで晴れた日が続いていたが、雲行きが怪しくなってきた。今日の予定はベルリン西部にあるシャルロッテンブルク宮殿を見学した後、ベルリン在住の友人Dと会うことになっている。シャルロッテンブルク宮殿はゾフィー・シャルロッテというライブニッツなどと書簡を交わした才女が建設させて、リーツェンブルク宮殿と呼ばれていたのが、彼女の死後改名されたもの。このゾフィー・シャルロッテの夫はフリーリッヒだ。歴史上フリードリッヒ3世/1世と呼ばれている。彼はブランデンブルク選帝候のフリードリッヒ3世でプロイセン王フリードリッヒ1世ということで少しややこしい。フリードリッヒ3世/1世の評判はあまりよくない。ルイ14世の猿真似をして、宮殿を建てたり、王位を勝ち取るために金銭を浪費したりといわれている。しかし、ザクセン・ヴェッティン家がポーランド王になり、バイエルン・ヴィッテルスバッハ家もスペイン王になれたかもしれず、またハノファーもアン女王の跡をついで、イギリスの王位の就いているから、国際関係で重要な外交儀礼の面もあり、決して無駄ではなかった。彼の息子が兵隊王フリードリッヒ=ヴィルヘルム1世で、孫が「大王」と呼ばれるフリードリッヒ2世。戦災で破壊された場所が多く、建造物の被害は大きく、再現された箇所が多い。

アレクサンダー広場でDと待ち合わせて、どこかでコーヒーにしようという話になり、近くのハンガリー文化会館のような場所の2階にある喫茶店 Cafe Geissler に行った。昼食を食べ損ねていたので、グーヤシュを食べた。ドイツのグーラシュとは違い、パプリカが効いていてうまかった。最後の晩となるので、どこかいい伝統的なドイツ料理店はないかと、訊いたところ、どのガイドブックにも載っているがアレクサンダー広場近くの Zur letzten Instanz がそれでも良いとの事。まだ時間があるので、どこか観に行きたいところはないかと、話し合ったら、新ユダヤ教会の方へ行こうといことになり、博物館島へと向かい、Oranienburger Str. まで行く。おいしい手作りのアイスクリーム店があるというので、試してみると確かに旨い。しかし日が暮れ始めて、少し寒くなってきた。Friedrich Straße からアレクサンダー広場まで戻り、ホテルでちょっと休んだあと、夕飯の前にテレビ塔に登る。このテレビ塔は1969年開業でベルリンを見渡せる展望台がある。東独政権の所謂威信プロジェクトの一つだ。夜景を楽しみながらビールを一杯飲んだあと、Zur letzten Instanz へ行く。テレビ塔から歩いて10分するかしないかの所にある。予約はおそらくしておいたほうがいいのだろう、予約なしと言うと少し渋い顔をされた。でもテーブルが開いており、ベルリン最後の晩の夕飯を楽しんだ。量が中途半端ではないが、美味いので、メインを平らげたものの、デザートを食べきれなかったのが残念だ。

3月18日:ベルリン

今回のドイツ旅行の最終日となった。やはり時間が足りなかった。一晩は Prenzlauer Berg か Kreuzberg に行こうという計画も結局立ち消えになってしまった。彼女はパリ経由でニューヨークへ帰り、私は電車でグライフスヴァルドに帰ることになる。テレビをみていると、アメリカ北東部で大雪が降り、ニューヨークやボストンなどの発着便約2500便が欠航したというニュースが流れてきた。これはちょっと心配ということで、ホテルの部屋にあった電話帳でエール・フランスの電話場号を見つけて、電話をかけたところ、日曜日は閉まっているとのことで、情報は会社のウェブサイトを参照するようにと独仏英語での録音が流れた。インターネット接続は2時間あたり8ユーロというので、それだったら少し早めにテーゲル空港に行くべきだということで意見がまとまった。アレクサンダー広場駅前の喫茶店で朝食にして、バスに乗ってテーゲル空港へ向かった。結局問題はなく、彼女は無事に機上の人となり、私はグライフスヴァルドに帰るため、またバスで中央駅に行った。