脱 Twitter

一時期毎日何回も Twitter を確認していたが、今年に入ってから見る回数は減り費やす時間も短くなった。昨年は特に新型コロナウイルス感染症で外出がままならず、惰性で流し読みしていたところもあった。また米国トランプ大統領や新型コロナウイルス感染症関連のツイートを多く読んでいたので、英語の doom­scrolling という悪いニュースを強迫観念に駆られたように休みなく消費して精神衛生上悪影響を受けるという状態になっていたのかもしれない。もうほとんど使わなくなったし、残せば魔が差して再び長時間利用するかもしれないので、先月末にスマートフォンの Twitter アプリケーションを削除した。現在 Twitter はコンピューターでブラウザーを使ってアクセスしている。

Twitter の利用時間と頻度は激減したが、完全に使わなくなったわけではない。事件事故など何か突発的なことがあったときに素早く情報を得るのに Twitter が結構役立つのは否めない。他の媒体より先に情報が投稿されることがあるため。ただ玉石混淆なので、情報源として信頼できそうなアカウントの投稿のみ読む。何らかの目的があってか単なる愉快犯なのか、誤った情報を流しては悦に入る人たちが多く存在するので、下手をすると惑わされる。また人間は無謬の存在ではないので、フォローしている信頼できそうなアカウントが間違った情報を流したりリツイートすることもある。そして一度誤報が拡散されてしまうと、それが多くの人によって事実と認知されて、後に訂正されたとしても同等に拡散されないことが多い。そのまま間違いを真実と信じつづける人も多い。本当に急を要する場合もあるが、逸早く情報を流すことより、遅くても正確に伝える方が重要だと思うのだが、報道関係者を中心に一番乗りすることを最重要視する人が多く存在する。そのため最新ニュースに対してすぐに反応したり心配するよりも、まずはメディアの続報を待つようにしている。

また企業や団体に質問したり要望を提出したり問題解決を図るときに Twitter を用いる。ウェブサイトでフォームを入力したり電話をかけるよりも対応が素早いことがあり、SNS担当者にどれだけ権限があるのか知らないが、問題を短時間で処理できたことがこれまでに何回もあった。企業や団体がSNSで質問やクレームを無視したりおざなりの対応をすると、あっという間に拡散されて悪評が立ってしまう可能性がある。メールや文書や電話は基本的に一対一の連絡だが、DMではなくて公開SNS上だと衆人環視の中でのやり取りになる。企業や団体にとって厄介なのは外野が騒ぎ出すとき。

情報源と連絡手段以外として Twitter は、ある種のエンターテイメントや質の悪いゴシップとして見ている。嘘ばっかりと十分に分かっている週刊誌を敢えて読むようなもの。悪い喩えを用いれば、珍しい動物が集まった動物園を巡っているような感覚。自分で決めたルールとして、何事も笑って流せるくらいの心の余裕があるときしか Twitter のリプライや YouTube のコメント欄を見ない。ニュースやブログのコメント欄も同様。SNSでフォローするアカウントや閲覧するサイトは選べるが、フォローしたアカウントの投稿への返信やサイトの記事に付くコメントは選べない。SNSやニュース・サイトやブログで不快な思いをするのは、大体投稿に付く返信や記事に対するコメントを読んだとき。もし気に食わない返信に返信すれば、傍観者から当事者になる。売られた喧嘩を買うどころか、SNSへの返信やサイトへのコメントという道端に落ちている喧嘩をわざわざ拾うのは愚行だと思っているし、無駄に時間とエネルギーを消費する。かと言っていちいちブロックするのも面倒。見ないのが一番。

不機嫌だったり熱り立ったり他人を見下したり評論家ぶったりして自分を保とうとする人間が、独りでぼそぼそネット空間で嘆き怒り呟いているのであれば、他人に害を加えているわけでもないので、別に構わない。ただ公共の場で独り言をぶつぶつ言っている「変な人」または「可哀想な人」と他人の目には映るかもしれない。問題は罵詈雑言誹謗中傷が対象者に直接届くこと。有名無名の数多くの人が毎日被害に遭っている。どんなに有名な人間であっても一人の人間。もし大量の悪口が毎日届くのに精神的に全く影響がなければ、それはそれで問題のような気がする。そしてDMではなく公開されているSNS上だと、火炎瓶と灯油缶を持った野次馬が集まる。返信が返信を生み、火が一旦上がれば嬉々と油を注ぐ人が続出する連鎖反応が起きる。極端な事を書いている方が目立って世間の耳目を集めることができるし、他人を挑発して楽しむ人もいる。そんな人間を諭すのは無理だろうし、時間の無駄。正義感で消火活動を始めようとする人がいるが、放火魔の罠に嵌って焼け死んだり、却って炎を勢いづかせることが多い。

崇高な理念や綺麗事を並べていても、SNSの運営会社はよほどのことがなければ、人が傷つこうが利用規約に反すると思われる投稿・返信だろうが削除しない。大炎上して耳目が集まるということは、SNS運営会社にとっても広告表示回数が増えて収入増加に繋がる。利用者がどんどん罵り合って野次馬を次々と巻き込み火達磨になる人が増えるほど儲かる仕組みなので仕方がない。中にはこの仕組みを利用し、意図的に極論を展開したり他人が不快に思う投稿をして、自分で火を付けて「炎上商法」でひと儲けしようとする人間もいるが、巧くできなければデジタル焼身自殺を遂げるだけ。まさに死屍累々。焼け石に水だとは分かっているが、時間があれば一応目にした悪質な投稿は報告している。報告した投稿やアカウントが削除されることがたまにあるが、大半はお咎め無しあるいはほとんど意味のない軽い制裁。これは Twitter でも YouTube でも Instagram でも同じ。

ウェブ上特にSNS上の過激な言動は、犯罪やよほど公序良俗に反する内容でなければ24時間ないし48時間で自然鎮火する。毎日方方で火の手が上がるので、目ざとい野次馬は次の火事現場に急行する。ただ火が収まったかと思ったら、クリック目当てで記事を量産する人たちが、焼け野原に再び着火剤を投入する。火種となった書き込みと投ぜられた火炎瓶という返信をいくつか選んで、定型文を挿し込んで、扇動的なタイトルを付ければ、はい一丁上がり。匿名や偽名・ペンネームが中心な某巨大掲示板が自他ともにある種のネットの裏世界という認識ならば、SNSはネットの表世界にあたる。そのためメディアも「ネットの声」としてSNSの投稿を紹介することがある。それなりの有名人や一貫したペンネームの利用者や立場が明確な人ならば良いが、SNSの投稿なんて捏造しようと思えば数分でできるし、探せばどんなに極端な意見でも見つけることができる。SNSに投稿している人の多くは言葉は悪いが暇人だろう。裏付けのない匿名の「ネットの声」に碌なものはないと思っているし、そんな声や単なる憶測を迂闊に使うテレビ・新聞・雑誌はジャーナリズムではなく単なるゴシップ媒体に過ぎない。

情報と知識を得るためにSNSを有効に活用することはできようが、あまりにも当たり外れが激しいので、今年はラジオや新聞を主にしている。媒体にバイアスというか偏向はあるかもしれないが、そうであれば反対の主張をする他の媒体と比べれば良い。またバイアスは一定性があるので、どのような偏向なのか知っていればそれなりに対応できる。SNSはバイアスもノイズもひどい。自分がフォローしたり「いいね」をした投稿をもとにSNSは似たコンテンツを薦めたり表示する。SNSだと似た考え方をする人に囲まれるため、いわゆる「エコー・チェンバー」化でバイアスがどんどん強くなる。ほとんどの人間は他人が偏向した主張をしていて自分は偏向していないと思うもの。またSNSには専門知識や経験がない人でも簡単に投稿できるので、誰の情報が信頼できるのか判断するのが難しいうえ、膨大な量のありとあらゆる主張や意見の投稿が行われる。もしSNS上のバイアスを意識したとしても、内容が多種多様で無原則な場合、よほどの情報選別能力がなければ、ただただ情報の樹海を彷徨うだけ。

もともとSNSはあまり使わず Facebook は休眠状態で Instagram もたまに写真を載せる程度。今年に入ってからの脱 Twitter でかなり気が楽になった。でもそれは Twitter や他のSNSが悪いというわけではない。私に使い熟せるだけの力がなく相性が悪かったということ。唯一 Pinterest はほぼ毎日使っていて、他のSNSとは異なり上記の問題に未だ遭遇していないが、写真共有が中心という性質上炎上しにくいのかもしれない。