切符で振り返るヨーロッパ鉄道旅

ミュンヘン中央駅〜パリ東駅:1998年4月25日〜26日

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写真を整理していたら、かなり前にスキャンした古い切符を見つけた。ドイツ・ミュンヘンからフランス・パリまで夜行列車に乗った際の座席指定券・寝台券。この旅をあまり良く覚えていないが、切符に記載されている情報だけで記憶の糸を手繰ることができる。

確かインターレイル・パスがあったので、座席指定券・寝台券だけ購入した。乗車したのは、1998年4月25日21時ミュンヘン中央駅 (MUENCHEN HBF) 発、翌4月26日7時7分パリ東駅 (PARIS EST) 着の夜行列車。2等車。列車番号 (ZUG) は260で、予約したのは118号車 (Wagen) の55番席。コンパートメント車 (Abteilwagen) で、廊下からドアを開けると、日中は3人席が向かい合う形になり、夜は両側に上段・中段・下段の寝台になった。55番の上の桁の5がその車両5番目のコンパートメントを指して、下の桁の5が上段 (Oben) を意味していたと思う。確か下の桁の1と2が下段・3と4が中段・5と6が上段だった。このコンパートメントあたり6人の寝台は、英語やフランス語でクシェット (couchette) で「小さなベッド」という意味。ドイツ語では Liegeplatz という名。1等車だとコンパートメントを4人で共有して、寝台は両側に2段だった。禁煙席 (Nichtraucher) を指定した。現在なら考えられないが、当時列車には喫煙車が多くあった。座席指定・寝台を予約するのに26ドイツ・マルクを払った。単一通貨ユーロが流通する前の時代。乗車前日の21時45分にコブレンツ中央駅 (Koblenz Hbf) の窓口で現金払い (BARZAHLUNG) で発券されたことも記されている。

鉄道の高速化、格安航空会社の台頭による航空運賃の低価格化、廉価な長距離バスとの競合などの理由で、21世紀、特に2010年代にヨーロッパでどんどん夜行列車が消えていったが、新型コロナウイルス感染症が拡がる前に再び増えてきていた。二酸化炭素排出量が他の交通手段に比べて小さく、環境にやさしいと再評価されたため。夜行列車の旅は楽しいので、個人的には嬉しい流れ。新型コロナウイルス感染症が終息して旅行ができるようになったら、またヨーロッパを夜行列車で旅したい。でも若い時のように、宿泊代を浮かすために2夜連続で夜行列車はさすがにきついかもしれない。