独り言|Gemeinde, Gemeinwohl

2009年6月11日

この記事は「独り言」よりは「愚痴」と呼んだ方がいいかもしれない。

近世ヨーロッパ史にあって、近代国家は形成途中にある。近世の人々の成りつつある「国家」への帰属意識の有無が議論となっている。これは「国家」の定義問題と密接に関連するため、近世に国家はなかったとすれば、帰属するものがないので、国家への帰属意識はあり得ないことになるが、そうも断定できない。近世国家は、近代国家の要素もあるが、中世の領国の面影も残す。

近代国家、国民国家、nation と state / état / Staat の違いなどもあり、国家の定義も簡単ではない。そして近世ドイツ史(17世紀後半)の史料に Estat / Staat という単語が出てくるが、実際に何を指していたのか、必ずしも明確ではない。特に一人の君主が幾つもの文化・風習・言語・法律・宗教/宗派が違う領土を治めている場合はどうなるのだろうか。

Estat や Staat 以上に頻繁に使用されるのが、「共同体」と訳せる Gemeinde、そしてその「共同体全体の福利」と呼べばいいだろうか Gemeinwohl という言葉。問題は「共同体」は何なのか、ということにある。

近世ドイツ人は、ある一カ所の共同体に属していたわけではなく、幾つも共同体の一員だったという印象を受ける。例えばギルド組合員であれば、ギルドが一種の Gemeinde であり、住んでいる村あるいは町も Gemeinde となり、広くは歴史的な領土も Gemeinwohl として捉えられていたようにも読める。神聖ローマ帝国の皇帝の臣民という意識もあり、帰属意識は重層的だった。