短評 | God’s Fury, England’s Fire: A New History of the English Civil Wars

Michael Braddick

God’s Fury, England’s Fire: A New History of the English Civil Wars

London (Penguin Books), 2009 [Originally published by Allen Lane, 2008]

ISBN: 978-0-141-00897-4

英国史には、日本語で一般的に「ピューリタン革命」あるいは「清教徒革命」の名で知られる時期がある。しかしこの呼び名は現在英国ではあまり使われない。イングランド内戦(English Civil Wars)そして最近はイングランド・スコットランド・アイルランドの3ヶ国が関ったため3王国戦争(Wars of the Three Kingdoms)という。どの名を使うかで、この時期に対する歴史家の考え方も少しは分かるだろうか。

著者は English Civil Wars を使っている。そしてスコットランドとアイルランドも登場するが、いわば脇役で主役はイングランドである。主戦場はイングランドであって、イングランドにおける政治と宗教に関する論争によって、チャールズ1世の運命は定まり、国体が変わった。チャールズ1世の処刑をもってこの本は終わっている。

チャールズ1世に対しての不満は、カンタベリー大主教ウィリアム・ロードの高教会的な政策や、ロードやバッキンガム公といった側近や国王本人への不信感が大きな理由としてあげられている。また内戦前、長期間に渡って議会が招集されずに税が課されたことなど、王権の濫用についても触れている。しかし、あえて最重要問題をあげれば、宗教のあり方だった。ロード大主教、ひいてチャールズ1世の政策はカルヴァン派の予定説を否定すると認識され、密かにカトリック教への回帰を企んでいるという危惧があった。教会制度と国体と政治制度が密接に関係していた。宗教での合意なくしては、政治制度での合意もありえなかった。そしてイングランドはプロテスタント、カトリックは敵であった。

宗教や王権において、お互いに譲歩できない一線があり、内戦突入となったが、チャールズ1世に対する不満で反対派は一致していても、どのようにすればその不満が解消されるのか、大きな隔たりがあった。また、内戦勃発まではチャールズ1世に批判的であった人々の中でも、議会側ではなく、国王側についた者たちもいた。つまり多くの人々が理想的な宗教制度や国体を秤にかけて、難しい判断を下したことになる。多くの人は、最初から絶対的に議会側、あるいは国王側と決まっていたわけではなく、途中で鞍替えした場合もあった。議会側の中でも、どのような条件であれば、チャールズ1世の王権復帰を認めるのか、それとも退位させるのか、議論がなされた。また、宗教の観点からすれば、長老派の教会制度が理想なのか、それとも独立派の主張を認めるのか、そしてどのようにすればその教会制度が守られるのか、議会内そしてイングランド国内においても様々な意見があり、まとまりがなかった。国王の処刑という結末までに至るまでは多くの紆余曲折があったし、最終的に処刑に至ったのは、長老派の多くを議会から追い出しもしたニュー・モデル軍の発言力の高まりがあったとしている。

なお、内戦を通して、チャールズ1世は3王国の王としての立場を自覚していた。そのため、イングランド以外にもスコットランドやアイルランドの勢力とも交渉を行った。一方、議会側はイングランドを代表するような形で、チャールズ1世をイングランド国王という立場で見た。そのため、アイルランドのカトリック勢力との交渉は、チャールズ1世の宗教観と信頼性という非常に重要な点で決定的に議会側に不信感を与えてしまった。

また著者はこの時期に多く出版された小冊子を史料として用いている。本の題の God’s Fury, England’s Fire も当時の小冊子の題の一例。明言はされていないが、17世紀中葉のイングランドにおける「公共圏」が、どのようにして政治と宗教論争を受け止め、議論に参加したのかを記している。議会内の議論だけや出版された平等派の主張だけではなく、この時期の主張がどのように小冊子にまとめられ、ロンドンそして地方都市に広がり、どのように輿論あったかを描いている。

「イングランド内戦」について知るにはいい一冊。ただ、おおよその時代背景についての知識は必要だし、それなりの英語力も求められる。