スウェーデン近世史:記事批評 | Organization, Legitimation, Participation

2009年2月22日

Mats Hallenberg, Johan Holm, Dan Johansson

‘Organization, Legitimation, Participation: State Formation as a Dynamic Process | the Swedish Example, ca. 1523-1680’

Scandinavian Journal of History 33/3 (2008), 247-68

ISSN: 0346-8755 (print); 1502-7716 (online)

DOI: 10.1080/034687508022150242

Bottom-up: 下意上達

Legitimation: 正当

Organization: 組織

Participation: 参画

Peasants/peasantry: 農民

State formation: 国家形成

Top-down: 上意下達

スウェーデンはヨーロッパ近世史で特異な存在と言ってよい。16世紀初頭に独立を果たし、人口も大きくなく豊穣とは呼べない国土にかかわらず、17世紀には北欧の軍事超大国となった。そのため、この興隆を齎した一因であるスウェーデンの「国家形成」は、近世ヨーロッパ史を勉強する研究者にとって興味のあるところ。この論文は国家形成について新しい観点を提示している。

【要約】

スウェーデン近世史の研究者には、中央による官僚体制の樹立で地方を押さえたという「上意下達」の構図で17世紀を中心に見る考えと、地方が中央の力をある程度抑え管理しえたという16世紀を主に考慮する、2派の主張がある。論文の著者は「組織」、「正当」、「参画」を柱に、近世スウェーデンの国家形成は国王による「上意下達」型の集権のみではなく、農民も含めた「下意上達」の双方向の過程によるものだと主張している。「組織」は経済力の活用と政治的支持の受け皿となる国家行政制度の構築と維持を指し、為政者は臣民と交渉し政策を「正当」化しなければならず、臣民は国家形成に交渉の場あるいは請願書を用いて積極的に「参画」したと指摘している。なお近世の「国家形成」にとって最重要だったのは、Max Weber に従い領内においての正当な軍事力の独占にあるとしている。

1523〜1680年を、1523〜1568年、1569〜1611年そして1611〜1680年の3段階に分けて考察している。

第1期の1523〜1568年は Gustav I Vasa の治世と Erik XIV の統治期間の一部に当たる。新しい王朝で、独立・半独立で王権に抗しうる他の権力者がいたことが特徴だ。組織面で言えば、スウェーデン内で貴族・教会・農民と複数存在した中の一権力者だった国王が、宗教改革で教会の土地を国王直轄とし、徴税権を直接官吏に管理させることにより、王権を強化した時期。Vasa 王朝の正当性は新しい王朝として盤石ではなく、国会 Riksdag において世襲化を決定付けるというように、臣民との交渉を行った。注目すべき点はこの交渉と正当化が地方ごとに行われたのではなく国会という一カ所においてにあったことにあり、長い中央集権化の過程となる。Gustav I は Vasa 王朝の正当性を宗教に求めず、スウェーデンの法と伝統を強調した。Vasa 王朝樹立は Dalarna の農民の力によるものがあり、農民も他国とは違い国会に代表を送り、一揆という型で王権を揺るがし、また兵と税を供給したため、王権が強化された中でも、王は農民を重視し農民の間に常に開かれたパイプを置き、請願書などを通じ、下意上達の参画を可能とした。

第2期は1569〜1611年で、スウェーデンの国家組織には、王を頭とした中央集権から、地元の権力者と農民が交渉する地方分権型という組織面での変化があった。これは Johan III が Erik XIV に対するクーデター時に貴族に頼ったことに起因し、見返りに貴族に更なる特権が与えられたことにある。しかしデンマークとの不利な戦争と Erik Sparre や Hogenskild Bielke などの主要貴族の反発などで、財政的に国王はもっと不利な立場に陥ったため、貴族の地方への影響力が強くなった中でも王は官吏と通じて農民との交渉を進めざるを得ず、国と臣民の関係は強まったと言える。Sigismund と Karl (IX) の抗争では、Sigismund が貴族を支持母体としたのに対し、Karl は自分の農地を所有する農民と都市民に支持を訴え、そして軍の支持も取り付けた。Karl IX はポーランドやロシアとの戦争路線を取り、王権を強化した。Johan III は農民も代表者を送る国会を交渉と正当化の場としたが、Karl IX は農民を国の中心と捉えることを明らかにして、スウェーデンをカトリック教会と貴族の陰謀から守る方針を掲げた。農民も貴族や都市民と対抗しうる政治的自己同一性を持つ政治勢力となり、国家中央と地方権力者と交渉に参画し、譲歩を勝ち取った。Sigismund が貴族を通し、間接的支配を試みたのに対し、Karl の方針は農民とのパイプを維持し、貴族より王の下で支配を選んだ農民を取り込んだ。

第3期の1611〜1680年はスウェーデンが軍事大国として、北欧・中東欧・中欧を席巻した時期で、Gustav II Adolf と Axel Oxenstierna という2人の為政者の協力体制によって成り立った政体の時期。Oxenstierna は貴族の態度を中央集権国家への対抗から協力に変化させ、戦争による領土拡大を可能とした。徴税は請負制となるなど、長期間の戦争による支出を補うために、多くの改革が断行された。国会と農民階級の政治力は、王と貴族の協力体制により Karl IX の時代と比べると相対的に弱まり、国会は王の政策を承認・追随する形となった。Gustav II の死後は貴族の地方での権限が増大し、農民からの反発の強かった請負徴税制も廃止された。しかし貴族の影響が強まっても、王主導から貴族主導の上意下達の政策決定は変わらなず、戦争を継続するための政体は維持された。北欧・中東欧での覇権主義は変えず、デンマークやポーランドとの戦争も17世紀中葉にあった。支配する領土が増えたスウェーデンに軍備費は重くのしかかり、Karl XI はスウェーデンを絶対王制に移行し、reduktion と呼ばれる、Gustav II 以降に譲渡された土地を再び王領とする政策を取った。拡張路線途上の軍事国家は専制君主制(royal autocracy)へとスウェーデンを導いた。Gustav II は外国からの脅威を理由に増税を正当化し、スウェーデン国教会も官吏としての役割を果たすようになった。同時に王は農民の守護者という役も演じ、農民の請願も聞き入られることが多かった。Gustav II 死後は強力な王という後楯を失い、農民の立場は弱くなったが、税と兵を供給する農民層にスウェーデン軍事大国は依存したので、完全に政治勢力を失うのには至らず、請願権が頻繁に利用され、下意上達の参画でより多くの臣民が政治の方向に寄与した。1680年に始まる Karl XI の絶対王政は、貴族主導上意下達から王主導、そして貴族に与えられた土地を取り戻し、「王と農民」協力体制への回帰でもあった。

近世スウェーデンの国家形成は継続的に「上」と「下」が新しい政策を導入し改変する過程によるものだった。つまり国家「組織」は王によって礎を築かれたが、王は国家の拡大を「正当」しなければならず、また臣民による「参画」も必要だった。

【感想】

21ページにしてこのような大きなテーマを扱うのは難しいが、著者はよく議論を纏めている。王権の相対的強さを軸に、国家形成が上意下達のみによるものではなく、貴族や教会そして農民などの地方の権力者でもあった臣民と他国に対しスウェーデンの支配を Vasa 王家が正当化しなければならず、それには臣民の参画が必要であったことをよく主張している。特に税制の組織においての論はよくできているが、正当と参画について、さらに少し踏み込んで関連付けることができれば、より上意下達・下意上達両過程の同時性と双方向性、また誰がどのような政策にどのように影響を与えたかが明確になるとも思う。第2・3期にはそれぞれの期間中に変動があり、特に第3期はひとつの時期と見るべきか、議論があるかもしれない。スウェーデン近世史を理解し、他のヨーロッパにおける「絶対君主制」という体制の中での、君主と臣民の関係を長期的視点から考え直す契機ともなりうる、示唆に富んだ論文には違いない。