未来へ後退

Kia whakatōmuri te haere whakamua というマオリ語の諺がある。英訳は I walk backwards into the future with my eyes fixed on my past なので、和訳を試みれば「過去を見つめながら未来へ後退する」にでもなろうか。私もそうだが、多くの人は、過去は背後にあって未来は目の前にあり、過去から未来へと前進するものと捉える。でも少し考えてみれば、未来なんて見えないし知りえない。一寸先は闇。朝に紅顔ありて夕べに白骨となる。その一方で自分の過去は覚えているし、他人から昔の話を聴くことはできる。日本語で2022年の現在の観点から、未来の2122年のことを100年「後」と呼び、過去の1922年のことを100年「前」と言うので、どこか似た感覚があるのかもしれない。

このマオリ語の表現が掲載されていたのは下記の論文。

Lesley Rameka, ‘Kia Whakatōmuri Te Haere Whakamua: “I Walk Backwards into the Future with My Eyes Fixed on My Past” ’, Contemporary Issues in Early Childhood, 17/4 (2016), 387–398, doi:10.1177/1463949116677923

マオリの人々の過去・現在・未来の捉え方や死生観や存在論や人間と自然の関係や祖先との関係つまりは祖霊観と呼べるかもしれない考えを、どのようにアオテアロア=ニュージーランドの幼児教育に組み込まれうるかを論じている。

歴史家は過去を見つめる職業。未来ではなく過去に顔を向けると、目の前に昔へと伸びる数々の道が枝分かれしていて、史料と研究という街灯が灯っている。明るく照らされたところもあれば、史料が乏しく研究もされずに暗いままのところも多い。年々研究が進みこれまで真っ暗だったところにも街灯が並び、朧げながら見えてくるようになった。過去はこれからも明るく明らかになるだろうが、未来は見えないまま。