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幸せな家庭と不幸せな家庭

幸福ではなく不幸な家庭の方がどれも似ているのではないだろうか。

Все счастливые семьи похожи друг на друга, каждая несчастливая семья несчастлива по-своему.

幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。

トルストイ『アンナ・カレーニナ』の冒頭。有名な一文。

このサイトをリニューアルするにあたって、掲載できそうな写真を過去20年に遡って探したところ、何年も見ていなかった画像が多々あった。完全に忘れていたことがたくさんあったが、被写体で大体はどこで何をしていたのか思い出せた。サイトに載せることはしないが、懐かしい写真の中に、友人知人の結婚式に出席した際に撮った写真も。多くは幸せな家庭を築いていて、子供も大きくなってきている。

しかし全ての結婚が上手くいっているわけではない。時間が流れて連絡をすることもなくなったが、風の便りで離婚したと聞いたのが数組。未だに時折連絡し合う一組は、現在離婚前提の別居中。今の時代、離婚は驚くことでも悪いことでもない。不幸な婚姻関係にいるよりも離婚した方がお互いのためだろうし、子供も両親の仲が悪い不幸な家庭環境にいるのは辛いだろう。

大文豪に文句をつける立場にはいないし、結婚して家庭を築いたことがなく、傍から見ているだけだが、引用した一文は常々逆ではないかと思っている。つまり幸福な家庭はその家庭独自の幸福の形を構築して継続できているが、不幸な家庭を煎じ詰めればいくつかの理由に収斂されて似ているのではないか。ちょっとした行き違いの蓄積、性格の不一致、不貞行為、家庭内暴力、酒・薬物・ギャンブルなどへの依存、金銭感覚の違い⋯⋯。

離婚を人生の「失敗」と捉えていないし、結婚を人生の「成功」だとも思っていない。ただ何事も挑戦した人の方が挑戦しない人より立派。離婚できるのは結婚した人だけなので、この記事を書きつつ自分でも「何を偉そうに語っているのか」と感じている。現在の私に結婚願望というものはない。そもそも相手がいなければどうにもならない話だが、一般論として決して「したくない」あるいは「しない」ではなく、「しなくてもいい」と言えば伝わるだろうか。人に言わせれば「孤独死コースまっしぐら」らしいが、協調性があまりなく独り暮らしが気楽な人間なので仕方がない。

いつどこで手に入れたのか覚えていないが、恐らく四半世紀以上も前の学部生時代にロンドンの蚤の市か寄付された品を販売して慈善団体の活動資金にするチャリティー・ショップで買ったのだろう、ロシア語の『アンナ・カレーニナ』が本棚で埃を被っている。上下2巻で£5だった。1967年レニングラードにて出版。

大学でロシア語の単位を取った。学んだと言っても読むだけ。試験は露文英訳だった。書くことはもちろん、聞いたり話したりすることは全く行わなかった。さすがにキリル文字はまだ読めるが、覚えたはず習ったはずの語彙や文法のほとんどは忘れてしまった。好成績だったのに。

数年に一回の割合で、ロシア語を再学習してみようと始めるのだが、結局三日坊主に終わっている。