英国の州と紅茶

まるで不味いものしかないように思われている英国だが、紅茶は美味いと思う。決して紅茶「だけ」ではないので、そのうち「英国美味いものシリーズ」でも書こうか。そうとは言っても、あまり長続きしそうにないが⋯⋯。ステレオタイプ通りかもしれないが、英国人はかなりの量の茶を消費している。2016年の国別データによれば、英国の一人あたりの茶消費量はトルコとアイルランドに次いで世界第3位。量にすると1.94㎏で、日本の約2倍。

テレビで観ていたドラマが終わった、サッカーの試合の前半が終了した、取るに足りないこと、深刻なこと、沈黙を破る時、話が弾んでいる時、とにかく何かあったら、いや何ら理由がなくても

「まあ、まずはお茶でも淹れましょう」

となることが多い。そして会話は無難に天気天候について。

私の「最も英国らしい経験」の一つに、病院で脂肪腫摘出の手術後、全身麻酔から覚めて、回復室から病室に運ばれて、まだ完全に意識がはっきりと戻っていなかった時、看護師に

「紅茶はいかがですか?」

と訊かれたことを挙げたい。具合についての質問ではなく、開口一番、紅茶のこと。当時、紅茶は砂糖なしミルク・ティーで飲んでいたのだが、砂糖も入れてもらった。とても美味かった一杯。手術の翌日の昼食の味には閉口したものだが。

ここ数年はミルクなし砂糖なし、ストレートで紅茶を飲んでいる。牛乳や砂糖を使えば、苦味は幾分中和というか誤魔化せるのだが、ストレートでは無理。紅茶をストレートに飲むようになってから、安い紅茶が買えなくなった。タンニンが多いせいだろう、あまりにも苦いから。あるスーパーの激安PBブランドの紅茶は殊にひどかった。ティーバッグの入ったマグカップに熱湯を注いで、僅か数十秒後にティーバッグを引き上げても酷く苦かった。そのくせ紅茶らしい味も香りもしなかった。パッケージには良質の紅茶を使っているなどと書かれてあったが、煮え湯ならぬ茶色い苦湯を飲まされたもの。もちろんもったいないので飲み切ったが、まさに苦痛だった。そんな経験を踏まえ、紅茶くらいケチらなくても良いだろうと思っている。

特定のブランドやブレンドに固執しているわけではなく、スーパーで特売になっているのを買っている。現在飲んでいるのは TwiningsStrong English Breakfast という銘柄。名前にある通り、濃いめの紅茶でしっかりとした味。

先日、私が衣服のみならず日用雑貨を買うディスカウント・ストア TK Maxx で紅茶が売られていた。£2以下だったのでついつい2箱買ってしまった。一つは Lancashire Tea というブランド。もう一つは Dorset Tea で、両方とも英国の州 (county) の名が冠せられている。

夕食後にカフェイン入りのコーヒーや紅茶を飲むと、老化現象なのか寝付きが悪くなってきたので、夜はデカフェやハーブ・ティーを飲んでいる。数週間前にスーパーで安くなっていたので買ったデカフェの紅茶は Yorkshire Tea というブランド。この紅茶の名前にあるヨークシャーは、行政区としてはいくつかに分かれているが、歴史的文化的に一つの州あるいは地方として汎く英国で知られている。それに TK Maxx で買ってきた Lancashire Tea ということは、つまりヨークシャーとランカシャー、紅茶の薔薇戦争と言ったところだろうか。薔薇戦争でヨークシャーとランカシャーの人々が敵対していたわけではない。イングランド王位を巡って白薔薇が記章だったヨーク家と赤薔薇のランカスター家が争ったのだから。当時ヨークシャーにはランカスター家支持者も多かったそうな。そして「薔薇戦争」と命名されたのは後世になってだが、その名前の由来や歴史はともかく、ヨークシャーとランカシャーは何かとライバル関係で、今でもこの2チームが対戦するクリケットの試合は薔薇対決とでも訳せるだろうか The Roses Match と呼ばれている。デカフェの Yorkshire Tea は美味いので気に入っている。さて Lancashire Tea の味はどうだろうか。

ヨークシャーはある意味、典型的あるいは理想化されたイングランドかもしれない。それは Yorkshire Tea の箱にも表れている。丘陵地帯は石垣で区分けされていて、人家が点在し、遠くにはマナー・ハウスの姿が見える。人々はクリケットに興じていて、羊は群れている。一方 Lancashire Tea の箱にはランカスター家の記章・赤薔薇が描かれている。他の色は白と黒なので、かなり目立つ。町の名前や歴史的出来事が書かれている。そして裏側には BIRTHPLAC[E OF] THE INDUS[TRIAL] REVOLUTION ともある。確かにランカシャーは産業革命の中心地で、歴史的にマンチェスターもリヴァプールもランカシャーにあった。ちなみにランカシャーのクリケット・チームの本拠地はオールド・トラッフォードでマンチェスター・ユナイテッドの同名のグランド近く。イングランドの国歌として使われることの多い『エルサレム』こと And did those feet in ancient time にある green and pleasant landdark satanic mills の対比にもなるだろうか。

ヨークシャーとランカシャーはイングランド北部だが、ドーセットはイングランド南西部にある州。個人的にドーセットとしてすぐ連想するのは、英国を代表する作家・詩人の一人であるトーマス・ハーディー。小説に出てくるウェセックスはドーセット州都ドーチェスターとその近隣がモデル。牧歌的で英国における南国。紅茶のパッケージも明るい色で、丘には花が咲き、海にはヨットが浮かび、空には鳥が舞っている。箱の裏には英国平均に比べ、日照時間が年につき364時間長いと記されている。ほぼ一日一時間になるのだから結構な差。

このように英国の違う場所の名前が付いているが、別にそこで茶の木が栽培されているわではない。日本のように、静岡茶なら静岡産、地名すなわち産地でブランドとして確立しているのと全く違う。英国で流通している紅茶の原産国はケニアやスリランカであることが多い。そしてインド産のアッサムやダージリンだろうか。紅茶はどのようにブレンドするかで味が決まる。また水に合わせることも大事。英国は場所によって水道水が軟水だったり硬水だったりするので、ブレンドはブランドの腕の見せ所。その点、地名を使うのは賢明なのか、疑問が残る。その地域の水道水に合ったブレンドだったら、他の地域では合わないと思われてしまうのではなかろうか。そのため、これらの紅茶の生産者の意図は、マーケティングの一環として州の名前を付けて、消費者の潜在意識にある州のイメージを喚起して訴求しているのではないか。

Yorkshire Tea の箱には Let’s have a proper brew とある。ヨークシャーの人々は質実剛健、正直で曲がったことが嫌いと自負しているようなところがある。それを表すのが proper という単語だろう。もっとも、他のイングランド人によれば、ヨークシャーの人々は金銭管理がしっかりしていて「吝い」というのがステレオタイプだが。また、モンティ・パイソンのスケッチとしても有名な Four Yorkshiremen というのがある。ヨークシャー出身で成功者となった男性4人が幼少期を振り返り、いかに貧乏であったかを競い合い、どんどんと現実味がなくなるという内容。ヨークシャーを出すというのは、飾り気はあまりなく経済的に豊かでもなく素朴かもしれないが、良質であることを強調しているように思う。

Lancashire Tea の説明に、この紅茶はランカシャーの人々同様に bright, bold and full of character とある。明るく、明けっ広げで、個性豊か。電飾と社交ダンスで有名な海岸沿いの保養地ブラックプールもあり、ちょっと派手好きと言ったところ。スローガンと呼べばよいのか、箱の両面に THE WINNING CUPPA と書かれている。この winning という単語には「他と比べて優れている」また「勝つ」という意味があるが、この場合「魅力的」であるを強調していると思う。英国英語で cuppa はちょっとくだけた表現で、「一杯の紅茶」を意味することもあれば、単に「一杯の」を指すこともある。後者でも cuppa tea で結局紅茶であることが多い。ランカシャーはなんとなく明るくて楽しそうな印象を与える。

Dorset Tea の場合、ドーセットの人々についての記述はなく、上記のように天気について語っている。箱の裏には We think our tea tastes as good as the sunshine makes you feel とあり、太陽光と同じくらい気持ちが良いらしい。日光の味とはどうも分からないが、季節は春や夏で、ドーセットの心地よい陽射しと花と汐の香りを連想させるのが狙いだろうか。

州の名前が付いているのだから、紅茶の原産国がアフリカやアジアであっても、ブレンドした会社や工場はその州にあるだろうか。まず Yorkshire Tea だと Blended and packed in the UK by Taylors of Harrogate, North Yorkshire とあり、会社の所在地はノース・ヨークシャー。次に Dorset Tea を見ると Dorset Tea is produed by Keith Spicer Ltd, 5 Cobham Road, Wimborne, Dorset とあり、これも会社はドーセットにある。最後に Lancashire Tea の箱を調べてみると、なんと製造者は Dorset Tea と同じ Keith Spicer Ltd だった。ランカシャーと何かしら関係や縁があるのだろうか。

まだ他にもいろいろ州や地方や都市の名前の付いた紅茶があるので、次はどのブランドを買ってみようか。