おじさんになった

最近このサイトに掲載した記事は、結局「おじさんになった」という内容の繰り返し。同じ自分語りを繰り返すのはおじさんの特徴かもしれない。おじさんおばさんが集まると同じ昔話をする。小さい頃は、前に聞いたことがある思い出話に興じる大人を見て、なぜそんな事が楽しいのか、全く分からなかったが、この歳になって分かってきた。おじさんおばさんとおじいさんおばあさんの違いは、昔話を繰り返していると自覚しているか、それとも話したことを忘れているかの違いなのかもしれない。特に去年から新型コロナウイルス感染症の流行で旅行や娯楽の機会が少なくなって、新しい話の種が尽きた。亀の甲より年の功は言い過ぎだが、歳を取るほどいろいろと起こり、昔語りならほぼ無尽蔵にある。今後新型コロナウイルス感染症が終息して、旅行や娯楽に補助金が出るようになったら、10代後半・20代前半の若い人たちが重点的に受け取れる制度にすべきだと思っている。おじさんおばさん、おじいさんおばあさんと違って、若い人たちは昔話の種も多くないし、一番身体能力的にいろいろとできる期間に我慢を強いられてきたのだから。

ここ数年、つまり新型コロナウイルス感染症流行以前からの傾向だが、素直に若い人の活躍を「凄いな」と思えるようになったし、同世代には頑張ってほしいし、どんどん活躍の場が増えたら嬉しいと感じるようになった。スポーツでも芸能でも。恐らく自分自身のことを「若い」と思わなくなったためだろう。30代半ばを過ぎると体力的に第一線から退くスポーツ選手だったり、時代の寵児と呼ばれて過去の人扱いになる有名人が多い。歳上には憧れという感情を持てるが、自分が滑稽にも「まだ若い」と思っていた時期に、同年代に対して真っ直ぐに憧憬の感情は抱けなかったし、若い世代に対しては「上から目線」だった。運動神経も創造性もないのに、同じ年代あるいは若い世代の人たちの活躍を祝福できない感情が心の奥底のどこかにあった。妬みと呼ぶのはしっくりこない。多分無意識に自分と比較して、どれだけ自分が不甲斐ないかを痛感していたのだろう。しかし今はそんなに張り合うこともない。どうであれ、心理学者の領域である。

先日、ロンドンの中心部のカフェで、こんなことをだらだらと大学で教鞭を執っている同世代の友人と話していたら、学生とのジェネレーション・ギャップを痛感するようになったと言っていた。要約すると⋯⋯学生は毎年新しく入学して入れ替わっていて、自分だけ歳を取っている。去年はほぼ全てリモートだったが、今年は対面授業になるので、2年分老いた気持ちに。ここ数年は断絶と呼んで良いほど歳の差があって、学生はもはや違う生き物に思えてしまうし、学生も自分のことを親の世代の人間あるいは宇宙人と捉えている。共通の話がないし譬え話も通じないが、却って教えるのが楽になった。お互いに異なる世界の住人だというのを明確に認識しているので、完全に分かり合えて話が通じるという期待も前提もない。なるほど、腑に落ちる話だった。友人と私なら鮮明に覚えている9・11も、今の学生にしてみれば生まれる前の遠い昔の話。私が学生だった時分、JFK暗殺事件を引き合いにして延々と語っていた老教授をふと思い出した。

若い頃、おじさんおばさんが無理して若い人のことを知ったかぶりをするのは非常に滑稽な姿だった。今はおじさんになったので、そんな醜態を晒さないように気を付けないと⋯⋯。