比較屋

他人に危害を加えず迷惑をかけていないのであれば、人間好きなことをすれば良く、趣味趣向は個人の自由なはずだが、なぜだか比較して優劣やけちを付けたがる面倒臭い人が存在する。偏見かもしれないが⋯⋯芸術やスポーツや趣味の種類を格付けして悦に入っている自称(つまり似非)文化人は、自分が好むものを高尚で優れたものだと言い張ることによって、自己陶酔に浸っているだけなのではないかと疑ってしまう。大学生が酒を飲みながらいろいろ熱くも青臭くも語るのは微笑ましいし、究極的に無駄だが若いうちにどんどんやるべきだと思うが、大の大人が尊大にああだこうだ論じるのは何か滑稽に見えてしまう。芸術やスポーツや趣味の分野が多様化した現在において、高尚から低俗あるいは一流から三流というようなピラミッドで語ろうとする人間は時代錯誤も甚だしい。また〇〇が好きな人は必ず〇〇だと意味不明に決めつける暴論というか偏屈な偏見も存在する。

私はクラシック音楽が好きで、オペラを鑑賞するのが楽しみの一つ。オペラ好きになったきっかけは、学生時代に留学先のベルリンで歌劇場に足繁く通っていたから。当日に券が残っていれば、学生証を提示することで一番良い席が格安で買えた。映画館に行くのと同じような金額だったと記憶している。友人は似たように留学先のロシアでバレエを何回も観て、バレエ好きになって今でもよく鑑賞している。私はバレエの素晴らしさをいまいち理解できていないが、それは単に私の感受性と美的感覚と知識の欠落の問題。でも友人が素晴らしいバレエ公演を観て大いに感動することに共感できる。オペラもバレエも他の音楽や演出がある芸術と変わりがないし、特に高尚なものとは考えていない。歌劇場に行くと、オペラが好きというよりも、高尚な芸術であるオペラを着飾って鑑賞する自分が好きな人がちらほらいるような気がしてならない。それも楽しみ方の一つで否定されるべきではないし、嫌らしい見方だが私からすると少し珍妙。人はそれぞれ違う芸術表現に興味や感動を覚えるもの。オペラやクラシックのコンサートに行くのとバンドやアイドルのライブに行くのに本質的な差はないと思っている。

スポーツも自分ではできないが観戦するのが好きな競技を褒めて他を貶すことが多い。例えば野球とサッカーどちらがスポーツとして優れているなどというのは不毛な議論だろう。シーズン中MLBの公式 YouTube チャンネルにある大谷選手の動画を観て「凄いな」とあまりの活躍ぶりに圧倒されたり、サッカーの試合のハイライトでゴールまでの動きや連携やシュートの技術などを観て高揚したり、違うスポーツを観戦するのは楽しい。私には良さがあまりよく分からないスポーツもある。例としてバスケットボール。ルールは分かるし、他の人が観ていて面白いだろうな興奮するだろうなというのは十分に分かるが、私にはちょっと展開が速すぎるのかもしれない。ここ2年行っていないが、実際に競技場で観戦するスポーツにテニスとクリケットが挙げられる。テニスはウィンブルドンの会場近くに住んでいるためで当日に時間があったり入場できそうだったら並ぶ。他の大会をテレビで観ることもないし、選手に特に詳しいわけでもないが、これまでに何回も素晴らしく圧倒される試合を観てきた。ここ数年で一番印象に残っているのは2018年のジョコビッチ選手対ナダル選手の男子シングルス準決勝の第1〜3セット。第3セット終了時点で夜11時を過ぎたため翌日再開された試合で事実上の決勝戦だったとも言われている。クリケットは国際試合の5日目までもつれ込んだ時に行く。悠長なスポーツ。基本的に試合は毎日午前11時に始まり、午後1時で昼食の時間に。昼食後の1時40分から3時40分まで再び試合を行い、3時40分から4時まで午後の紅茶の時間で、4時に試合再開し6時まで続き、場合によって更に30分だったり1時間延長する。それを5日間行って引き分けになることもしばしば。でも時には2日や3日で終わってしまうことも。短時間に試合が変わることがあるし、目を離すことができない。

おじさんになって、このまま健康で長寿になるとしても、人生の半分ほどはもう生きただろうか。さすがに今日明日に死ぬなどとは思っていないが、若い頃に比べると先が短くなっている。これまで無駄に歳を食って、知っていることより知らないことの方がはるかに多い。歳を取るごとに偏狭になるのが怖く、常に新しいことを学びたい刺激を受けたいと思っている。これまで食わず嫌いにしていた物事にも興味を持つべきかもしれない。芸術でもスポーツ観戦でも本でも映画でも。もし何かを薦める記事や動画や番組がある場合、他に比べて優れているだとかランキングの上位にあるからだとか評論家が評価していたからだとかではなく、なぜ面白いのかどうして好きなのか熱く語っているほうが読んで見て聞いて楽しい。他のものを貶している比較屋の内容は受け手として時間の無駄に過ぎない。