心配性のOSアップグレード

いつかやらなければならないし、かつて失敗したこともない。でもなぜか、今回は失敗するのではないか、なにか変な事が起こるのではないか、と無用に心配してついつい後回しにする作業や事がある。そして無事に完了した後、なぜあれほど逡巡したのか、時間を無駄にしたのか、馬鹿馬鹿しいとちょっとした自己嫌悪に陥る。少なくとも私にはいくつもある。一例にコンピューターのOSのアップグレードが挙げられる。

2年に1回くらいの周期でパソコンの openSUSE とこのサイトのサーバーの Debian を最新バージョンにアップグレードする必要がある。コンピューターで使っているソフトウェアはあまり多くないし、サーバーもほぼ Apache だけなので、公式サイトや Linux の情報サイトなどを参照して、CLIを使ってたいした時間もかからずに終わる。未知のことではなく、経験上問題なく済むことは知っているのに、二の足を踏んでしまう。まだ心の奥底にコンピューターに対する得体の知れない恐怖心があるのだろうか。我ながら無様で不思議。

最近このサイトのサーバーの Debian を Buster から Bullseye にアップグレードしようと思い立った。最初は何も手に付かないかもという心配がよぎったが⋯⋯濃いコーヒーを一杯飲んで深呼吸。始めるにあたって

「上手くいくかどうか⋯⋯」

という不安は払拭せず

「もし失敗したら⋯⋯」

ということを考える。謂わば最悪シナリオを描き自問自答する。

「失敗したら⋯⋯サイトが表示されなくなる」

「失敗してサイトが表示されなくなったら、どうする?」

「サイトの全ファイルは手元にあるので、新しくVMを起動して再構築してファイルを再掲載する」

「だったら失敗しても大丈夫だ」

心理的に恐れているのは失敗することにあって、失敗によって引き起こされる問題ではない。頭では如何に滑稽な状況なのかわかるのだが、なぜだか不安に駆られる。何せ失敗したところで被害は軽微で問題の解決は非常に簡単。そして今回も何ら問題なくアップグレードが完了。後回しにせず、いつもより早めに着手できたので、心配性は以前と比べると少し落ち着いてきたのだろうか。