晴動雨書

もう5月も終わり。歳を重ねるごとに、時間の流れが速くなると言われている。少なくとも私の体験ではそうだ。ここ数年、何もしないうちに日が暮れてしまい、途方に暮れる日が多くなってきた。新型コロナウイルスの時期に、更に感覚がおかしくなったような気が。自分で感じる時の流れと、時計の針が示す時の流れと、月星の時の流れが一致していない。そして昨年の夏以来、疲労感に悩まされている。ここ数ヶ月で幾分か良くなったが、未だに疲れてほとんど何もできない日が突然やってくる。困るのは予兆がないこと。急にスイッチが切れたようになる。心配したり塞ぎ込んだところでどうにもならないので、疲れた日はたまに襲ってくる片頭痛と同じように「そのようなものだ、横になっていればそのうち良くなる」と割り切って過ごすようにしている。

2月からこのサイトを基本的に毎週金曜日に更新するようになった。他の事で時間がなかったり、上記のように疲れていて、記事を載せない週もあるが、花の写真だけは欠かさずに追加している。いつも三日坊主だが、今回はやり遂げようと思っている。今週は2020年に突入。まだ現時点に追いつくには数週間は必要。いやもっと時間がかかるかもしれない。なぜならここ最近多くの花の写真を撮っているから。家に引き籠もっているのはよろしくないと、良い天気が続いているので、これまでに行ったことのあるロンドンの庭園や公園を再び訪れている。もし時間があって疲れていなくて、天気が良くてどこかへ行くかどうか悩んだら、行くようにしている。以前ならば半々いやそれ以上の確率で「また次の機会に⋯⋯」と先送りにしていただろう。

ラテン語の標語に carpe diem がある。今日という花を摘め、つまりは「今を生きろ」という意味。出典はクィントゥス・ホラティウス・フラックスの詩。積極的に動くようになったのは良いとしても、いわゆる何かを行って刺激を受ける「インプット」と、文章という形にして書き上げる「アウトプット」のバランスが上手に取れていない。晴耕雨読、晴れた日に田畑を耕し、雨の日に読書に勤しむ、引いて世俗から離れ悠然と暮らすことを指す。私は俗物で耕す土地もない。でも晴れた日は外出して心を耕すことはできようか。いや、私にできるのはせいぜい動くことだろう。そして読むだけではなく、書くことをしなければ。そうなると目指すのは晴動雨書だろうか。

今週は色々と忙しく、晴れても曇っても雨が降っても、無動無書になってしまった。