L’esprit de l’escalier

会話や議論で機転の利いた返しができず、悶々というかもやもやした気持ちを抱えながら、数時間後あるいは翌朝になって⋯⋯

「あっ!」

閃いてしまうことがある。

「あの時、ああ言えば良かったんだ!」

地団駄を踏んでも時既に遅し。

このような経験をした人は多いのではないだろうか。フランス語に l’esprit de l’escalier という表現がある。直訳すれば「階段の機知」だが、意味は「後になって良い表現を思いつく」つまり「後知恵」で、英語でも同義で使われる。

出典は啓蒙思想時代・百科全書派のドゥニ・ディドロが書いた Paradoxe sur le comédien という随筆。出版されたのはディドロ死後の1830年のこと。主人公がジャック・ネッケル邸での会話中、ジャン=フランソワ・マルモンテルにヴォルテールが凡人でミシェル=ジャン・スデーヌが天才だと言われた。その後に続くのが下記の文章。

Cette apostrophe me déconcerte et me réduit au silence, parce que l’homme sensible, comme moi, tout entier à ce qu’on lui objecte, perd la tête et ne se retrouve qu’au bas de l’escalier.

フランス語は得意ではないが、あえて意訳を試みてみると⋯⋯この辛辣さに私は困惑して言葉を失ってしまった。なぜなら私のように感受性豊かな人間は、このような表現に完全に気圧されて茫然自失してしまうからだ。そして階段をおりたところでようやく我に返ることができた。

この場面で「階段をおりる」は「辞去する」ことなので、当意即妙に切り返す失われた機会を求めることはもうできない。

私も以前によく経験した「階段の機知」だが、ここ数年は階段をおりても次の日になっても何も思い浮かばなくなった。中年になって瞬発力どころか発想力も衰えたということだろうか。