Graisser la patte / grease the palm

もうだいぶ前に感じる5月16日、フランス語の新聞を読んでいたら、レバノンの総選挙で票の買収が公然と行われていたという記事があった。

Muriel Rozelier, ‘Au Liban, les votes s’achètent ouvertement’, Le Figaro, 2022年5月16日 第6面

フランス語は知らない単語や表現が多いので、文脈から推測することが多い。分かる部分を繋ぎ合わせて、知らないところを推測で穴埋めして、なんとか理解している。少なくとも理解している気分になる。一応知らない単語は調べるのだが、一つ覚えたら一つ忘れるような気がしてならない。また仏文は常に一度頭の中で英訳しないといけない。

この記事に

Nombreux sont les candidats à graisser la patte des électeurs

で始まる一文があった。

Patte というフランス語の単語は知らなかったが、この graisser la patte という表現が英語で「贈賄する」の grease the palm にあたるものと文脈から推測した。辞書で調べると実際そうだった。動詞の graissergrease はともに「グリース・潤滑油・油を塗る」という意味。何に油を塗るのかというと、フランス語だと patte で「動物の足」つまり英単語 paw にあたり、英語だと palm で「人間の掌」だ。

そのため上記の文を訳せば

数多くの立候補者が有権者に袖の下を渡している

とでもなろうか。しかし公然に行われているのであれば、秘密裏に賄賂を渡すという意味合いの「袖の下」とは違うか。

ちゃんと調べたわけでなく、検索エンジンを使っただけだが、1694年のアカデミー・フランセーズの辞書にこの表現が載っている。

On dit figure. Graisser la patte à quelqu’un, pour dire. Le corrompte, le gagner par argent. On a graissé la patte au Commissaire, au Greffier.

Graisser la patte à quelqu’un は比喩表現で「誰かを買収する、金銭を賄賂として贈る」を意味する。例文:親任官 (commissaire) を買収した、書記官・記録係 (greffier) を買収した。

他に1650年に出版された独仏羅辞典に

Graisser la patte, ou les mains, Mit gelt bestechen / Muneribus corrumpere.

という項があり graisser la patte または graisser les mains が「金銭をもって買収する」だということがドイツ語とラテン語で記されている。仏単語 main は霊長類の「手」を指す。ちなみに patte は単数で mains は複数。

1691年に出版された仏英辞典に

Graisser la patte à quelcun, to grease ones fist.

とある。油が塗られるのは握りこぶし。

英語 grease [someone] in the fist という表現は16世紀の本に見える。

If you haue argent, or rather rubrum vnguentum, I dare not saie gold, but red ointment, to grease them in the fist withall, then your sute shal want no furtheraunce, but if this liquour bee wantying, then farewell Cliente, he maie goe shooe the Goose, for any good successe he is like to haue of his matter.

もし銀、いや赤い軟膏、金などと口に出すのは憚れるが、赤い軟膏で弁護士を買収すれば、依頼人よ、あなたの訴訟は滞ることをしらないが、もしこの潤滑剤がなければ、さようなら、無駄骨を折るのと同じくらいの成功率しかないだろう。

ちょっと無理があるぎこちない訳文で、もっと時間をかけたいところだが、主旨としては弁護士などを買収しなければ訴訟が滞るということ。赤い軟膏 (rubrum vnguentum / red ointment) が一般的に金を指していたのか分からないが興味深い表現。なお「ガチョウに靴を履かせる (shoe the goose)」は「無駄骨を折る」という意味。

似たように司法の場での贈賄を皮肉った文章が1793年の出版物に見受けられる。

For, when a Plaintiff’s Guineas have been miss’d,

’Tis fair Defendent’s Gold should grease the fist.

もし原告から金貨がなければ、被告からの賄賂が効くのは仕方がない

少し脱線するが guinea は金貨のことで価値が変動していたが、後に21シリングに固定された。十進法に移行する前の英国の会計単位は1ポンド=20シリング=240ペンスだった。1ギニー=21シリングと固定される前は、金と銀の交換価値によってギニー金貨の価値がシリング銀貨に対して変動した。固定された後ギニーは会計単位としても用いられた。医者や法廷弁護士が費用を請求するときに使われた。また競馬でもよく使われ、今でもレース名に残っている。

出典 - An Admonitory Epistle to the Honourable Thomas Erskine - www.google.com/books/edition/A_Speech_at_the_Whig_Club_Or_a_Great_Sta/yvFbAAAAQAAJ?gbpv=1&pg=PA32

現在英語で一般的に使われる grease the palm は19世紀になって使用例が見つかる。

1805年の出版物に

for if you do not grease the palm of the understrapper, you can get little done by the principal (if a Clerk can be so called);

という記述がある。リヴァプール港の税関に関する内容で

下っ端に袖の下を渡さなければ、上はほとんど何もしない。もし書記が上と呼ばれるならばだが。

にでもなるだろうか。

このようにフランス語の graisser la patte は17世紀に既に使われていた表現。簡単な書籍検索で見るかぎり、同義の近世英語の表現は grease [someone] in the fist / grease the fist で、19世紀になって grease the palm が一般的になった。