ロシア:動員と逃避

ロシアが「部分的」動員令を発してから数週間。ロシア軍の観点から戦況は芳しくない。ウクライナ軍はロシアに占領された北東部を解放し、東部及び南部戦線でも攻勢に出ている。ロシアは自身が始めた侵略戦争で守勢に立たされている。クラウゼヴィッツの『戦争論』において、戦争は他の手段を用いた政治の延長に過ぎない (Der Krieg ist eine bloße Fortsetzung der Politik mit andern Mitteln) とされている。戦争は手段であり、手段は政治的目的から切り離すことはできない。ウクライナの目的は明確で一貫している。クリミア半島を含む全領土の回復だ。一方ロシアの目的とは何だろう。戦況によって変わるが、もはやプーチン大統領の体制の維持にしか見えない。

私は軍事史に蒙い。直近に戦闘経験のある退職軍人ではなく、過去に何らかの軍事教育を受けたか兵役に就いたことがあるとはいえ、ほぼ一般市民を動員するのは、なぜだろうかという疑問が残る。そのため聞きかじったことや、軍事知識のある他人との会話などが中心になるが、概ね対外にロシアの「本気度」を示すとともに、国内を統制するためという意見に至る。戦闘力として士気が低くて訓練されていない動員兵はあまり期待できない。戦力として使えるには最低数ヶ月間の訓練が必要とされている。不十分な訓練で士気が低い兵士を前線に送っては却って戦術的に足手纏いになる。なのでもし動員兵が近々用いられるとすれば後方支援。そうすれば現在後方支援を行っている現役兵を第一線に送り出せる。ただ私の感想に過ぎないことを付け加えれば、歴史的にロシア帝国・ソビエト連邦の指導者は戦争において自軍の人的犠牲を厭わない傾向がある。プーチン大統領は保身のためならば、どれだけ準備不足のロシア連邦市民の命を危険にさらす用意があるのだろうか。

傭兵はリスクを見合うだけの報酬があれば動く。志願兵は練度はともかく士気は高い。徴集兵・動員兵は、戦うべきもの、一般論として生命を賭しても守りたいものがあって、敵を目の前にしても一歩も退かなければ強い。守るべきものは人によって違う。家族・同胞・国・宗教・主義⋯⋯。軍事力では不利だったウクライナ人がロシア軍の侵攻開始直後の攻防戦で首都キーウを守り抜くことができたのは、ロシア軍の作戦・戦術の稚拙さと失敗もあったが、一歩も退かない強さがあったため。

プーチン大統領が現在ロシアが占拠している地域で、不自由で不公平な住民投票を行ってロシア連邦に併合したのは、対外的に正統性を訴えたり、今後ロシア領の自衛戦争と主張してABC兵器使用を正当化するためではなく、対内的なものではないだろうか。同胞であるロシア連邦の人々が危険にさらされていて、外部がいかに邪悪であるかを強調するため。つまりフランス革命時の「祖国は危機にあり」こと la patrie en danger の意識を高めようと画策している。そしてウクライナの「非ナチ化」などというロシアの荒唐無稽な主張も、今回の侵略戦争をソビエト連邦の対ナチス・ドイツの大祖国戦争と重ねることによって、対内的に防衛戦争として正当化するためだろう。多くの人は、自分の国が世界において歴史において、勝者であるとともに善の存在だと思いたいというか信じたい。ロシア人の多くにとって第2次世界大戦で戦勝国になったことは、ソ連とその継承国ロシア連邦という国の歴史的正統性を示し、国連安全保障理事会常任理事国など世界的大国として扱われる権利の根源だ。

多くのロシア人が兵役を逃れるために、ロシア連邦を脱出している。彼らはこの戦争で自分の命と引き換えても守りたいのを見いだせていないのだろう。プーチン大統領、現在の政治体制、ロシア連邦という国、新たに併合された地域の同胞であるロシア人⋯⋯いずれもその「守るべきもの」になっていない。これからもし動員された士気の低い兵に大きな損害が出れば、とても隠蔽できるものではなく、ロシア国内での厭戦反戦の動きが強まるだろう。