社内英語公用化

2010年12月6日

ちょっと古いニュースとなるが、日本語を母語とする日本人が多く働く日本企業の社内において、英語を「公用化」する方針を掲げた経営者がいた。まあ、このような思いつきが出来る人こそ成功するのが、ビジネスの面白いところかもしれない。さて、賛否両論あったようだが、またこのことに関する記事を目にしたので、考えをさっと粗雑だがまとめておきたい。

公用化は本当に必要?

世界を舞台とする企業に所属する人々にとって、相互理解や意思伝達の道具としての英語が必要なことは誰しもが認めることだろう。しかしここで論ぜられているのは、日本語を解さない交渉相手や顧客などと渡り合えるくらいのために必要な英語力ではなく、日本語で充分に用足りる社内で意思疎通に英語をいわば強要すること。正直な感想は「そこまでしなくても」というところ。言語を道具とみるならば、日本語を使った方が効率が良ければ、日本語を使えば良いはず。

言語学者でも哲学者でも脳科学者でもないが、言語と思考は密接に関連していると思う。英語を社内公用語にするにはいわば『英語脳』あるいは『英語思考回路』を鍛えようとする意図があるのかもしれないが、それによって得られるメリットは効率低下より大きいのだろうか、疑問が残る。

英語=グローバル?

英語を使わなければ、国際競争の中で取り残され、劣ってしまうという危機感があるようだ。もっと積極的な見方をすれば、世界に打って出るには英語が必要という考え方。確かに日本語だけ、日本式の経営意識だけでは、現地に工場を建てたり市場を開拓したりするのには限界があるだろう。つまり、より大きな成果をあげるには、英語が不可欠となる。

でも世界=英語ではない。「英語を話せる」と「英語で話したい」には違いがある。必要なのは、それぞれの市場を理解できる人材ではないだろうか。例えば中国ならば北京語や広東語、南米の多くの国であればスペイン語ができる人の方が、英語ができる人より商談が捗りやすいのでは。つまり、最低限の英語力は求めるが、わざわざ日本語で良い場面で英語を使わせることはない。必要最低限の英語は、事実上の国際共通語として、文化や言語が違う多くの場所で展開するときの意思疎通には欠かせない。しかし、各市場にあった人材を養成し活用する、つまりローカリゼーションによるグローバルな会社を目指した方が良いような気がする。

適材適所、社員一人一人の能力を最大限引き出すのに、画一的な社内英語公用化が役に立つのか、今後見極める必要がありそうだ。