北朝鮮:張成沢氏失脚

北朝鮮でこれまで金正恩氏に次ぐ地位にあった張成沢氏が失脚した。張氏一派の粛清が、北朝鮮の経済や外交などの政策面で何を意味するのか、日韓中露の隣国や米国は分析していることだろう。何らかの変化はあるだろうが、まだその方向が見えない。報道によれば、張氏の側近が公開処刑されたり、親族が本国に召喚されているらしいので、徹底した粛清の模様。これは金正恩氏の体制の確立で少なくとも政権内部崩壊の可能性が低くなったとみなすべきか、それとも執行部内での軋轢を示していて政権がより不安定となったとみるべきなのか、どうだろうか。

法の支配なき独裁体制では、粛清で人員を交代することが多い。そして政策転換は粛清という形の人員交代で行う。もちろん高齢や病気を理由に引退したりすることもあるし、現職のままで死ぬこともあるだろう。でも、法に則っての人員交代がままならない。そして失脚した者には、厳しい運命が待っていることが多い。終わるのが、政治生命だけではないことも多い。法の支配ある民主主義国家では、通常選挙に負けたとしても、政権の座を追われて政治生命が絶たれることはありうるが、負けたがゆえに監禁されたり殺されることはない。

独裁政権といっても、一人の人間が全てを掌握しているわけでなく、独裁者に近い者が権力を持っている。独裁者の側近が権力を行使できても、つまるところは虎の威を借る狐に過ぎない。忠誠心を疑われて独裁者の信用を失ったり、ご用済みとなってしまったら、立場を失い、下手をすれば命さえ失ってしまう。独裁体制で政権中枢にいる者たちは、通常派閥を作り、政策もその派閥や人脈と密接な関係にある。そのため多くの場合、上記のように政策の変換は人員の交代でもある。派閥抗争で負けた者たちの政策は葬られ、時にはこれまでの失政の責任を取らされる。政策の失敗や新しい者が独裁者となった場合は、特に政策転換の機会でもあり、粛清の時でもあることが多い。

さて、今回の張氏失脚の真相は、いずれ歴史として明らかになるだろうか。