「現代のベートーヴェン」

無教養を曝すことになるが、佐村河内氏なる自称「作曲家」の存在を、最近のニュースで初めて知った。「現代のベートーヴェン」と呼ばれ、被曝2世の全聾作曲家という触れ込みだったが、実際には、他人が曲を作り、聴力がある、あるいは奇跡的に回復したという、世間を何重にも騙した人物である。

もし不正に障害者手帳を取得していたならば、それは法的な問題なので、事実を明らかにして、然るべき対応があるはず。気になるのは、彼が作曲したと言われる音楽のことで、正反対の受け止め方があるだろうか。音楽は独立した普遍な存在であり、もし音楽自体が素晴らしいのであれば、誰が作ったとしても、それは素晴らしい音楽であるという考え。そして、音楽は独立した存在ではなく、作曲家の人格や時代を反映するものであり、音楽とその作曲家や時代背景と切り離すことはできないという見方。前者であれば、ゴーストライターがいたとしても音楽作品として特に問題としないが、後者だと、騙されたことになる。どちらにも一理あるような気がするが、個人的には後者だろうか。音楽のみならず芸術作品などは、為人や時代を知れば知るほど、鑑賞が深くなると思う。なにせ、普遍で絶対的な「美」が存在しうるとしても、批評家になれるような感性や知識が、私には備わっていないので、どうしても作品の成り立ちや作成者について知りたいと思うし、作品をその背景とともに理解したい。

佐村河内氏は全聾を騙って他人の作品を自作として売り込み、メディアもまたそれゆえに彼を持ち上げたようだ。もし実際に作曲した新垣氏の名で、曲が発表されていたならば、同様の評価あるいは社会の注目を得ていただろうか。新垣氏は素晴らしい音楽家作曲家だが、名声を好まない人物らしい。また非凡な才能を持ち、音楽を熟知しているからこそ、新しい音楽を作っているという。もしクラシック音楽に精通する人々が「本物」と認めるのであれば、新垣氏の名で再び出せば良いのでは。そして、この騒動はやがて曲の歴史の一部となり、評価は変わるかもしれないが、後世に残ることになるだろうか。