チュニジア革命

2011年1月20日

独裁国家だったが、比較的安定した経済成長と安全な環境で、ヨーロッパからの観光客も多く、北アフリカの優等生とも評されていたチュニジアで政変が起きて数日。どうやら専門家の間でも「なぜチュニジアで」という主旨の発言が相次いでいる。そしてもしチュニジアでこのようなことが起きるということは、他の北アフリカや中東の国でも似たことが起きうるか、いろいろと臆測が流れている。革命は語弊のある言葉だが、このような一大変事にはあっていると思う。

じわじわと抗議が広がり、大規模なデモが続き、結局逃げるように大統領が亡命。断固として鎮圧する意志がなかったのだろう。体制を大流血あっても維持するという意志とそれに従う軍や鎮圧部隊がいなければ、独裁体制は結構あっさりと崩れるもの。1989年、中国の天安門事件では共産党政権が鎮圧を躊躇しなかったが、東欧では次々と共産党政権が崩壊した。

ある体制が崩壊しても、次に国民の支持を得られる政権が樹立できるか、チュニジアは現在正念場を迎えているだろう。

さて、今回チュニジアで起こったことはツイッターが引き起こした革命などと一部言われているが、さすがにそのようなことはないだろう。これは活版印刷が宗教改革の原因と断ずるのと同じ。ただ無関係ではない。ツイッターは情報の伝播や連絡に必要不可欠だっただろうから、なくてはならなかっただろう。これは2009年のイランでも今回のチュニジアでも同じ。他国の独裁者たちは、すぐに携帯電話とインターネットを切断することを学んだかもしれない。