安保の素人

2011年9月3日

新しい内閣が発足した。毎年のように総理大臣が替わるのはあまりよくないことだと思うのだが、震災後の政局では菅政権が長く続くような状況ではなかったので、驚くべきことではない。さて、総理大臣が替わると大臣も替わる。そして大抵、一人や二人、ちょっと首を傾げたくなる発言をする新大臣がいる。

読売新聞の記事によれば、一川保夫防衛相は自らを「安全保障の素人」と称し、「これが本当の文民統制だ」とも発言したらしい。さらに「ほとんどの国民は素人だ。一般の国民を代表する国会議員が監視するのがシビリアンコントロールだと思っている。国民目線で、国民が安心できるような政策が大事だ」と追加説明。説明というよりも墓穴を掘っているような気がするのはなぜだろうか。

防衛相が軍事や軍事作戦の専門家である必要はないし、例えば自衛隊の任務遂行時の作戦などに口を挟むことは避けるべきだろう。しかし大臣は一国民とは違う立場にいる。文民である総理大臣・防衛大臣・内閣は「統制」する立場にある。「統制」と「監視」は違う。乱暴な言い方をすれば、自衛隊が何をするのかは文民が決めることだが、どのようにその目的を達成するのかについては専門家の集団である自衛隊に任せる。また統制には責任が伴う。政府は国民に対し政策の説明と責任を負うことになるし、防衛相は自衛隊の行為についての政治的責任を負う。統制するには無知無能ではいけない。統制するにはそれなりの見識と判断力が求められ、大臣として大局を見渡して防衛政策に関ることになり、国民の生命に直結するような判断を短時間内に下すことを求められることがありうる立場にある。「素人だから」という言い訳は通用しない。

安全保障と狭義の防衛政策や軍事は違う。重なる部分は多いが、防衛は安全保障の一部と考えたほうが良いだろう。安全保障は防衛相一人の問題ではなく内閣全体が負う大きな責任で、どのように国家国民の安全を保障するのか、軍事のみならず、外交であったり、財政であったり、情報であったり、多角的に見ることが必要。別に玄人である必要はないかもしれない。ただ己の信念とは何なのか、どのような政策が安全保障に寄与するのかしっかりとした考えを持つのが政治家であろう。さて一川防衛相の信念とは何か、今後自らの言葉で表現できるだろうか。