翻訳あれこれ

誤訳と拙訳:読解力と表現力

翻訳者は人間なので、完璧ではなく、訳文に間違いがあって然り。だから訳文は、翻訳者以外の人にチェックされる。

さて、このような校正の仕事の量には、どれだけ上手に翻訳が行われたかで、かなりの差が出てくる。的確に読み易く翻訳されているときは、ほとんど時間がかからないが、逆にひどい場合は、長時間かかり、ときとして、一から翻訳した方が手っ取り早いこともある。かなり大雑把な話だが、チェックするとき、次の二つの問題点に注意する。一つ目は、内容に問題があるかどうか。これは誤訳の有無と呼んでいいだろうか。ここでの誤訳は、原文が間違って訳されていて、原文と訳文で意味が違っていること。最近実際に遭遇した極端な例をあげれば、原文では「そうである」と肯定されていたことが、訳文では「そうではない」と否定された場合。二つ目は、表現に問題があるとき。自分の翻訳を謙っていうときにも使われるが、ここでは「下手な訳」という意味での拙訳。つまり、文法的に正しく、単語は的確に訳されているが、文章としてあまりにも読みづらく、あるいはあまりにも不明瞭であり、これでは読み手に真意が伝わらないのではないか、と心配されるような場合。違う言い方をすれば、原文を読解する能力と、原文を他の言語で表現する能力のこと。

誤訳だが非常に素晴らしい文章だった、あるいは非常に読みづらい拙訳だが正しい訳だった、ということは非常に稀であり、通常両方混ざっている。いずれにせよ、誤字脱字などのちょっとしたミスがあることを見落とすことは、優秀な翻訳者が細心の注意を払ったとしても、ときとして起こりうるものであり、そうであるからこそのチェックなのだが、どこか根本的な所で何かが間違っているとなると、読解力と表現力のどちらにより大きな問題があったのか、原文と訳文を並べて比べることになる。

原文の意味を正しく理解したが、それを上手く翻訳できなかった、というケースの方が楽。なぜならば、訳文の表現に集中すればいいから。怠慢で上手く翻訳したくなかった、ということはまずないだろうが、急な仕事だったあるいは専門外の分野だった、というようなことが多い。原文を理解していなかったときの方が時間がかかる。まず、原語を理解する能力に不足があったのか、それとも原文の内容を読解する能力に不足があったのか、原文と訳文を読みながら調べる。前者は、原語を充分に読み解くことができないがために起きた誤訳。原語の文法や構文や基本的な語彙の知識不足に起因する間違い。これは厄介であり、時間がかかる。後者は、原語の文法などについての知識に関して問題はないが、原文が専門的であるため、専門的な内容を不完全に理解した上で訳したために起こる誤訳。

翻訳者の母語が原語か訳語かで差が出ることもある。原文が母語であれば、難解な文章であったとしても読解できるが、訳文は習得した言語であるため、ぎこちない文体となってしまい、逆に訳文が母語だと、母語でない原文を完全に読解することができず、訳文は滑らかだけれども、内容を正確に訳すことができない、と問題点を整理できるだろうか。回りくどいが、例えば、英文和訳を行っても、和文英訳を行わないように、翻訳者は一方の翻訳を行っても、他方向の翻訳を行わないことがある。そして、翻訳者はバイリンガルあるいはマルチリンガルである必要はないし、またバイリンガルあるいはマルチリンガルだからといって、必ずしも翻訳ができるわけではない。

当たり外れがあるのが、チェック。次回は、どのような訳文が回ってくるだろうか。