#17

社会のオタク化とオタクの希釈化

インターネットで娯楽や趣味について深い知識を得ることができるようになり、多様化・細分化・深化つまりは「界隈化」が進んでいる。簡単に始められる分、簡単に辞められる。また「常識」の幅が狭まっているのでは。

長距離国際線で運用されている飛行機の各座席にモニターが付いているのが今では当たり前。でも私が子供の頃は違った。バシネット席の所がスクリーンになって、映画が上映されていた。もちろん観ないという選択肢もあったが、多くの乗客が1本の映画を同時に観ていた。同じところで笑ったり驚いたりしていた。

飛行機の各座席にモニターが設置され、タブレット端末やスマートフォンを持つ乗客が増え、機内で好きな時間に好きな映画を観たりゲームで遊んだりすることができるようになったのと似たように、社会全体で娯楽と趣味が多様になり細分化そして深化された。ある意味分断とも言えるだろうか。でも悪いことではない。なぜなら自分が興味あることに没頭できるから。同調圧力で興味もないのに知らないといけなかったり、興味を持つふりをするということも少なくなった。もし上下の力関係が存在する中で、目下の人に自分と同じ趣味趣向を押し付けようものなら、完全なパワハラと捉えられるだろう。

変な言い方かもしれないが、社会のオタク化とオタクの希釈化が同時に進行しているのではないだろうか。インターネットによるところが大きい。テレビ・ラジオ・新聞・雑誌などの媒体で、人口は小さくないが、大きくもなく、これまで色物扱いされ、あまり取り上がられなかった分野についての情報が、ウェブで溢れかえっている。ほぼ誰しもがインターネットに接続できる端末を持っている時代なので、気になればすぐに調べることができ、情報は玉石混淆かもしれないが、深い知識を得ることができて「オタク化」し、同じ趣味を共有する人とSNSなどで簡単に繋がることができる。マイナーな趣味だったら、以前は専門誌の購読やグループやクラブやイベントに参加するなど、金と時間と努力と覚悟と人脈を要した。周りからは理解されなかったり小馬鹿にされたかもしれない。今は誰でもファン・オタク・マニアになれる。簡単に入れるし、簡単に脱けられる。そんな新参の「にわか」を歓迎するか拒否するか、既存のファン・オタク・マニアの反応は人それぞれだろうが、入ってくる新規加入者を止めることはできない。そのため「希釈」が起こる。ただ新参者を拒む場合は、少数で閉鎖的になって先鋭化も起こりうるだろうか。

多様化・細分化・深化つまりは「オタク化・界隈化」が進み、テレビをなんとなく見て新聞をなんとなく読んでいれば、皆が知っている共通認識あるいは「常識」と呼ばれるものが得られる時代ではなくなった。常識の幅が狭まったとも言えようか。自分の常識は世の常識ではない。おじさんになるとどうしても

「そんなの常識だろ」

「誰でも知っているはず」

「誰でも知っているべき」

などとついつい口にしたくなってしまう時もあるが、今のところ自制が働いている。